[日本のならわし]

 

―節句、二十四節気と雑節およびその他の行事―

 

日本人は、古くから美しい日本の移り行く四季を愛すると共に

ならわし・季節ごとの歳時・年中行事を大切にしてきた。

 

大そうじをして新年を迎えることも

夏のお盆には帰省することも

大晦日には除夜の鐘の音を聞くことも

 (最近はこれに反対する人たちもいるようだが・・・)

桜を愛で、月を眺め、紅葉を楽しむことも。

 

移ろう季節とともに、ふだんの日々と

特別な節目をくりかえす営みのなかに

幸せを感じる知恵が、いまも息づく暮らしのならわしなのかもしれない。


ー節句ー

 

■「節句」/「節供」の由来]

五節句の「節」とは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の節目のこと。

 

古代中国では、3月3日や5月5日のように奇数(陽)の重なる日は、めでたい反面、陰に転じやすいとされ、邪気を払う行事が行われていた。この中国の暦法と風習が日本に伝わると、日本古来の儀礼や祭礼などと結びつき、宮中で邪気を祓う行事が催されるようになった。

 

「節句」は古くは「節供」と書かれていたのである。そのため、「節供」とは季節の変わり目にあたって祝いを行う節日(せちにち)に、供御(くご=飲食物)を奉るのを例とするところから発した名称だと考えられている。 室町時代以前の用例は、その時代の辞書類も含めてほとんどが「節供」で、「節句」の表記は見つけられない。ところが江戸時代になると「節句」の用例が急激に増え始める。だが、残念ながら何がきっかけでそうなったのかはわからない。

 

現在「節句」が優勢になっているのは、おそらく「常用漢字表」の「句」のところに語例として「節句」が挙げられているからであろう。これは1973(昭和48)年に告示された「当用漢字改定音訓表」の内容を踏襲したものである。「供」も常用漢字ではあるのだが、「節供」の表記例がないところを見ると、「節句」の表記を優先させるという判断があったのであろう。

 

■江戸幕府が「五節供」を制定

当初は宮中や貴族社会で行われていたが、江戸時代に「五節供」が式日(現在の祝日)に制定されてから、民間行事として広がっていった。 明治になって五節供は廃止されたが、今でも年中行事の一環として日本人の暮らしの中に定着している。

 

■植物の力で邪気を祓う

五節句には、3月3日や5月5日のように奇数の重なる日が選ばれているが、1月1日(元日)は別格とされ、7日の人日(じんじつ)が五節句の中に取り入れられている。 また、邪気を祓うために、旬の植物から生命力をもらうということで、それぞれの節供には植物が深くかかわっているのだ。

 

五節句は下記のとおり。

●五節句それぞれの説明は、右の[]内の数字をクリック。

人日(じんじつ) :1月7日 七草の節句→[1]

上巳(じょうし) :3月3日 桃の節句 →[2]

端午(たんご)  :5月5日 菖蒲の節句→[3]

七夕(たなばた) :7月7日 笹の節句 →[4]

重陽(ちょうよう):9月9日 菊の節句 →[5]


ー二十四節気ー

 

季節は太陽の動きが影響している。月の満ち欠けを基準とする太陰暦では、太陽の運行による季節の変化と根本的に合わない。また、太陽の動きを太陽と月のめぐりを取り入れた太陰太陽暦も、厳密にいうと年ごとに季節と月日にずれがあり、年によってはひと月ぐらいずれるので、季節の目安になりにくいものである。そこで、古代中国で考案された二十四節気を暦に取り入れ、季節の指標にしたのだ。

 

■二十四節気の成り立ち

二十四節気は太陽の動きをもとにしている。太陽が移動する天球上の道を黄道といい、黄道を24等分したものが二十四節気だ。 黄道を夏至と冬至の「二至」で2等分

   ↓

さらに春分と秋分の「二分」で4等分

   ↓

それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立」を入れて「八節」とする

   ↓

一節は45日。これを15日ずつに3等分し「二十四節気」とする

   ↓

さらに5日ずつに3等分し、時候を表したものが「七十二候」

 

二十四節気は、毎年同じ時期に同じ節気がめぐってくる。そして、節気の間隔が一定で半月ごとの季節変化に対応できるので、天候に左右される農業の目安として大変便利なものであった。季節を知るよりどころでもあったため、天候や生き物の様子を表す名前がつけられ、今でも年中行事や時候の挨拶など色々なシーンで使われている。

 

■それぞれの節気について

各節気の期間は約15日だが、毎年同じ日付とは限らないため、その年のカレンダーなどで確認が必要。たとえば、カレンダーに「2月4日・立春」「2月19日・雨水」と記載してあったら、2月4日から2月18日までが立春ということ。

 

※二十四節気についての詳細はこちら→ 二十四節気

 

●二十四節気それぞれの説明は、右の[]内の数字をクリック。

立春(りっしゅん) :2月4日頃    → [1]

雨水  (うすい)     :2月19日頃  → [2]

啓蟄  (けいちつ)  :3月6日頃    → [3]

春分(しゅんぶん)  : 3月21日頃  → [4]

清明(せいめい)     : 4月5日頃    → [5]

穀雨(こくう)        : 4月20日頃  → [6]

立夏(りっか)        : 5月6日頃    → [7]

小満(しょうまん)  : 5月21日     → [8]

芒種(ぼうしゅ)    :6月6日頃    → [9]

夏至(げし)        :6月21日頃  →[10]

小暑(しょうしょ) :7月7日頃    →[11]

大暑 (たいしょ)   :7月23日頃  →[12]

立秋(りっしゅう) :8月7日頃    →[13]

処暑 (しょしょ)   :8月23日頃  →[14]

白露(はくろ)       :9月8日頃    →[15]

秋分(しゅうぶん) :9月23日頃  →[16]

寒露(かんろ)       :10月8日頃  →[17]

霜降(そうこう)    :10月23日頃→[18]

立冬(りっとう)    :11月7日頃  →[19]

小雪(しょうせつ) :11月22日頃→[20]

大雪(たいせつ)    :12月7日頃  →[21]

冬至(とうじ)       :12月22日頃→[22]

小寒(しょうかん) :1月5日頃    →[23]

大寒(だいかん)    :1月20日頃  →[24]

 


ー雑節ー

 

日本には、雑節という暦日がある。雑節は、二十四節気や五節供のように中国から伝わったものではなく、日本人の生活文化から生まれた日本独自のものだ。 また、貴族や武家の儀式ではなく、主に農作業と照らし合わせた季節の目安となっており、日本の気候風土に合わせてあるため、長い間に培われてきた知恵と経験の集約といえる。

 

※雑節についての詳細はこちら→ 雑節

 

●それぞれの雑節の説明は、右の[]内の数字をクリック。

節分(せつぶん)                 : 立春の前日 2月3日頃→[1]

彼岸(ひがん)                  : 春分と秋分をそれぞれ中日とする7日間→[2]

社日(しゃにち)                 : 春分と秋分に最も近い戊の日→[3]

八十八夜(はちじゅうはちや) : 立春から88日目 5月2日頃→[4]

入梅(にゅうばい)            : 立春から135日目 6月11日頃→[5]

半夏生(はんげしょう)        : 夏至から11日目 7月2日頃→[6]

土用(どよう)                    : 立春、立夏、立秋、立冬の前各18日間→[7]

二百十日(にひゃくとおか)    : 立春から210日目 9月1日頃→[8]

二百二十日(にひゃくはつか) : 立春から220日目  9月11日頃→[9]


 

ーその他の行事とならわしー

 

●その他の行事とならわしの、それぞれの説明は、右の[]内の数字をクリック。

小正月(こしょうがつ)・左義長(さぎちょう)→[0]

初午(はつうま)  :→[1]

花見(はなみ)   :→[2]

お盆(ぼん)    :8月13日-16日→[3]

月見(つきみ)   :9月24日→[4]

七五三(しちごさん):11月15日→[5]


月別行事・暦

 

睦月(むつき) 1月

 

仲睦まじい月。正月に家族や親戚でなごやかな宴を催し、むつみあうことからついた。「生月(うむつき)」が転じたという説もある。 

 

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[正月] ・・・(1月1日-7日)

 

本来「正月」は1月の別称だが、1日が元旦、3日までを三が日、7日までを松の内といい、さらに1月15日(地方によっては20日)の「小正月」まで、さまざまな正月行事が行われる。1月を「睦月」と呼ぶのも、正月に一家揃って睦みあう様子を表したもの。多くの人が正月を家族で過ごし、当たり前のようにおせちを食べ、お年玉のやりとりをしたりしているが、一つ一つのものごとにも大切な意味が込められているのである。

 

■正月の由来

昔から、元旦には「年神様」(としがみさま)という新年の神様が、1年の幸福をもたらすために各家庭にやってくるとされている。年神様は祖霊神であり、田の神、山の神でもある。そのため、年神様は子孫繁栄や五穀豊穣に深く関わり、人々に健康や幸福を授けるとされていて、「正月様」、「歳徳神」(としとくじん)とも呼ばれている。

 

その年神様を迎え入れてお祝いし、たくさんの幸せを授けてもらうために、様々な正月行事や風習が生まれた。

 

おなじみの「明けましておめでとうございます」という挨拶には、無事に年を越し年神様をお迎えできた慶びと感謝の気持ちが込められているのだ。

 

新年を迎える準備:

新しい年を"迎える"と表現したり、"一年の計は元旦にあり"と言ったりするのは、年神様を元旦にお迎えするからである。正月の行事や風習には、年神様をめぐる一連のストーリーがある。それはまるで、我々が大事な客を迎えるのと同じように、もてなしの気持ちにあふれているのである。

 

時代が変わっても、受け継がれてきた正月行事や風習には、それぞれに深い意味が込められているのだ。

 

※正月についての詳細はこちら→ 正月

 

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[小寒]・・・二十四節気の第23(1月5日頃)。

[1]

池や川の氷も厚みを増し、寒さが厳しくなる頃。この日を「寒の入り」といい、寒さの始まりを意味する。そして、小寒と大寒を合わせたおよそ1か月を「寒中」「寒の内」といい、寒中見舞いを出す時期とされている。

※小寒についての詳細はこちら→ 小寒

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[人日=七草の節句]・・・節句(1月7日) 

「人日」は桃の節供などと並ぶ、五節供のひとつ。七草粥のこと。 1月7日の人日の日に行われ、春の七草を入れた七草粥で邪気を祓うといわれている。七草粥は正月行事として定着しているが、本来は「人日の節供」の行事だったのである。

 

■「人日の節句」と七草粥の由来

人日とは文字通り "人の日"という意味。 古代中国では、元日は鶏、2日は狗(犬)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人の日としてそれぞれの吉凶を占い大切に扱われていた。7日は人に刑罰も与えず、7種の若菜を入れた粥を食べ、無病息災や立身出世を願う風習があった。

「若草摘み」と「七草粥」:

この風習が日本へ伝来し、年のはじめに若菜を摘んで、自然界から新しい生命力をいただく「若草摘み」という日本古来の風習と結びついて「七草粥」となり、平安時代の宮中行事になった。さらに、江戸時代に「人日の節句」(七草の節句)として五節句のひとつに定められ、定着していったのだ。

 

乙女が摘んだ七草が吉?:

また、七草粥が定着した背景には、正月も関係している。7日といえば松の内(一般的には1月1日~1月7日)の最後の日にあたるので、正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、青菜の不足しがちな冬場の栄養補給にもなることから、この日に七草粥を食べることで、新年の無病息災を願うようになったという。

 

■春の七草

一般的に、七草粥の七草は「春の七草」をさす。春の七草とは、下記の七草を言う。

(1)  (せり) 水辺の山菜で香りがよく、食欲が増進。

(2)  (なずな) 別称はペンペン草。江戸時代にはポピュラーな食材。

(3)  御形(ごぎょう) 別称は母子草で、草餅の元祖。風邪予防や解熱に効果。

(4)  繫縷(はこべら) 目によいビタミンAが豊富で、腹痛の薬にも。

(5)  仏の座(ほとけのざ) 別称はタビラコ。タンポポに似ていて、食物繊維が豊富。

(6)  (すずな) 蕪(かぶ)のこと。ビタミンが豊富。

(7)  蘿蔔(すずしろ) 大根(だいこん)のこと。消化を助け、風邪の予防にも。

[0]

※“人日”についての詳細はこちら→ 人日

※“七草粥”についての詳細はこちら→ 七草粥

 

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[小正月・左義長] ・・・正月行事(1月15日)

旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき。満月のこと)にあたり、その昔この日を正月としていたなごりで、元日を「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになった。 大正月が年神様を迎える行事なのに対し、小正月は豊作祈願や家庭的な行事が多いのが特徴だ。大正月を男正月、小正月を女正月ともいい、松の内に多忙をきわめた女性をねぎらう休息日でもあったのだ。 また、この日に正月飾りなどを焼く「左義長」を行い、正月行事に区切りをつける。

 

■豊作を願う餅花

餅花を飾り、豊作を祈る。餅花とは紅白の餅で、これを柳などの木に飾りつけ、農耕神の予祝の花とされている桜の花や、実った稲穂に見立てるのである。 地方によっては餅ではなく繭を使い、繭玉と呼ぶところもある。餅花は小正月の正月飾りでもあるのだ。

※“餅花”についての詳細はこちら→ 餅花

 

■小豆粥で無病息災

小正月には小豆粥を食べ、無病息災を祈る。小豆のように赤い色の食べものは邪気を払うと考えられているのである。 祝い事の席には、小豆を使った赤飯などがつきものでもある。

※“小豆粥”についての詳細はこちら→ 小豆粥

 

■左義長(さぎちょう)

小正月に正月飾りや書き初めを燃やす行事で、その煙に乗って年神様が天上に帰ってゆくとされている。「左義長」は、三毬杖(さぎちょう)という青竹で正月飾りを焼いたことに由来するが、「どんど焼き」「とんど」とも呼ばれ、その火で焼いた餅などを食べると無病息災で過ごせるといわれている。

 

※“左義長”についての詳細はこちら→ 左義長

 

このように年神様を見送って正月行事も無事終了となるので、1月15日を「正月事じまい」といい、15日までを「松の内」とする地方もある。 また、秋田の「なまはげ」や「かまくら」など、地方色豊かな行事も行われている。

 

なまはげ 怠け者をいさめるため、鬼が家々を訪ねて子どもを脅す行事。本来は小正月の行事であったが、今では大晦日に行われている。

※“なまはげ”についての詳細はこちら→ なまはげ

[24]

かまくら 雪のほこらを作って祭壇をもうけ、神様を祀る行事で、子どもたちが火を灯して遊ぶ。

※かまくらについての詳細はこちら→→ かまくら

 

※小正月についての詳細はこちら→→ 小正月

 

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[大寒]・・・二十四節気の第24(1月20日頃)。

冷え込みもはげしく、寒さが最も厳しい頃。二十四節気の最後の節気で、ここを乗り切れば春近しといわれている。寒気を利用した食物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込む時期にもあたる。

 

※大寒についての詳細はこちら→ 大寒


 

如月(きさらぎ) 2月

「如月」という漢字は、中国最古の辞書『爾雅(じが)』の「二月を如となす」という記述に由来するが、中国では「きさらぎ」とは読まない。旧暦の2月は現在の3月半ばなので、寒さがぶり返しいったん脱いだ衣を更に着る月という意の「衣更着」が「きさらぎ」の語源になったという説が有力だ。

 

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[節分]・・・雑節(2月3日頃)

本来、節分とは季節の節目である「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいい、年に4回ある。ところが、旧暦では春から新しい年が始まったため、立春の前日の節分(2月3日頃)は、大晦日に相当する大事な日であった。そこで、立春の前日の節分が重要視され、節分といえばこの日をさすようになったのだ。

 

昔は、季節の分かれ目、特に年の分かれ目には邪気が入りやすいと考えられており、さまざまな邪気祓い行事が行われてきた。おなじみの豆まきも、新年を迎えるための邪気祓い行事である。

 

■豆まきの由来

古代中国では、大晦日に「追儺(ついな)」という邪気祓いの行 事があった。 これは、桃の木で作った弓矢を射って、鬼を追い払う行事である。 これが奈良時代に日本に伝わり、平安時代に宮中行事として取り入れられたが、 その行事のひとつ「豆打ち」の名残が「豆まき」で、江戸時代に庶民の間に広が ったのだ。

 

豆を"打つ"から"まく"に変わったのは、農民の豊作を願う気持ちを反映し、畑に 豆をまくしぐさを表しているからだといわれている。 本来は大晦日の行事であったが、旧暦では新年が春から始まるため、立春前日の 節分に行われるようになり、節分の邪気祓い行事として定着していった。

 

豆まき:

鬼は邪気や厄の象徴とされ、形の見えない災害、病、飢饉など、人間の想像力を越えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられてきた。 鬼を追い払う豆は、五穀の中でも穀霊が宿るといわれる大豆だ。豆が「魔滅」、豆を煎ることで「魔の目を射る」ことに通じるため、煎った大豆を使い、これを「福豆」という。

 

豆まきの仕方: 

・豆は必ず炒り豆で 豆には穀物の霊力が宿っているとされている。また、芽が出る寸前の春の豆は生命力の象徴で縁起が良いとされているが、拾い忘れた豆から芽が出ると良くないことが起こるともいわれている。豆は必ず火を通してからまくこと。スーパーで売っている節分用の炒り豆でOK。

 

・神棚に祭って鬼退治のパワーアップ 炒った豆を枡に入れ、神棚にお供えする。神棚がない場合は南の方角に置く。 夜になってから、戸口や窓、ベランダなどで豆まき開始だ。

 

・大きな声で「鬼は外!福は内!」 豆をまくのは、家長の役目とされ、その年の干支の年男、年女も吉とされている。家中の戸を開け放して「鬼は外!福は内!」と大きな声で唱えながら家の外と内に豆をまく。豆をまいたら、鬼が入ってこないようすぐに戸を閉める。

 

そのあと1年間無病息災で過ごせるよう、年の数だけ福豆を食べる風習がある。食べる豆の数は、新しい年の厄祓いなので満年齢よりも1つ多く食べる、いわゆる 数え年として1つ多く食べる、もともとが数え年と考え新年の分を加えて2つ多く食べる、満年齢のまま食べるなど、地方によって様々だが、全部食べきれないという方は、梅干し、塩昆布、豆3粒を入れた「福茶」を飲む方法もある。

 

豆まきのおもしろバリエーション:

【北海道~東北、信越地方】雪の中でも見つけやすいように、豆の代わりに殻付き落花生をまく。

【九州】「鬼は外」ではなく「鬼はほか」という。

【岡山、佐渡など】豆占いをする。豆を炉の灰の上に12粒並べ、右から1月2月・・・12月として、白く

    なった月は晴れ、黒く焦げたら雨、豆が転がって落ちたら風が強く吹くといわれる。

【東京・入谷の鬼子母神】「鬼は外」の代わりに「悪魔外」という。

 

その他にも、鬼が悪者を退治するなどの言い伝えがある地域や社寺では「鬼は外」とはいわず、「鬼は内」などというところもある。「九鬼」「鬼頭」など、苗字に鬼がつく家でも同様に「鬼は内」などといって、鬼を中に呼びこむのだそうだ。

 

豆の豆知識:

日本のおまじないや風習に登場する食べものは健康に良く、自然法則に則ったものばかりだが、大豆もそのひとつだ。 大豆の30%はタンパク質で、ビタミンやイソフラボンもたっぷり。 味噌や醤油など日本独自の食文化の基にもなっている。

 

節分の魔除け:

鬼は、鰯(いわし)の生臭い臭いと、柊(ひいらぎ)の痛いトゲが大の苦手とされている。そこで、鰯の頭を焼いて臭いを強くしたものを柊の枝に刺し、それを玄関先にとりつけて、鬼が入ってこないようにする風習がある。これを「焼嗅(やいかがし)」「鰯柊」「柊鰯」「柊刺し」などと呼ぶ。

[1]

地方によっては、豆がらやトベラ(トベラ科トベラ属の常緑低木で、枝葉は切ると悪臭を発する)を添えるところもあるが、昔から臭いの強いもの、トゲのあるもの、音のでるものは魔除けや厄除け効果があるとされているからである。

 

※節分についての詳細はこちら→ 節分

 

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[立春]・・・二十四節気の第1(2月4日頃)。

二十四節気の最初の節気で、旧暦では新しい年の始まりを意味していた。暦の上では春の始まりだが、冬の寒さは2月がピーク。「春は名のみ」といいたくなるが、春が産声をあげたととらえ、希望の春を迎えよう。

■立春から新年がスタート

二十四節気の最初の節気ということで、立春を基準にさまざまな節目が決められている。 また、旧暦では立春のころに元日がめぐってきて、立春と正月はほぼ重なっていた。必ずしも立春=元日にならないのは、二十四節気は太陽の動き、元日は月の動きで決められていたからである。

 

いずれにしても、立春が新しい年の始まりであり、「新春」「迎春」などの言葉にその名残がみられる。

 

■立春正月

立春を華やかに祝う国としては中国が有名。横浜の中華街では毎年「春節(しゅんせつ)」のイベントを開催し、獅子舞や爆竹で祝う。

[1]

■立春大吉

立春の早朝、禅寺の門に貼り出される文字。「立春大吉」の文字は左右対称で縁起がよく、厄除けになるといわれている。

 

※立春についての詳細はこちら→ 立春

 

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[初午]・・・その他の行事(2018年は2月7日)。

本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていた。

 

711年(和銅4年・奈良時代)のこの日に、稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれている。 この日をしのび、伏見稲荷大社をはじめ、愛知の豊川稲荷や佐賀の祐徳稲荷神社など、全国の稲荷神社で盛大な祭り(初午大祭)が行われる。

 

また、立春を迎える2月の最初の午の日は、一年のうちで最も運気の高まる日とされている。

※「午(うま)」は方位の南を示し、時間は正午を表わす。この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで陽光の力が最も強まる時といわれている。

[2]

稲荷大神の使いとされているのが“きつね”。初午の日には、その好物といわれている油揚げや団子などをお供えとする風習がある。

 

※初午についての詳細はこちら→ 初午

 

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[雨水]・・・二十四節気の第2(2月19日頃)。

雪から雨へと変わり、降り積もった雪も溶けだす頃という意味。草木が芽生える頃で、昔から、農耕の準備を始める目安とされてきた。春一番が吹くのもこの頃だ。 しかし、本格的な春の訪れにはまだ遠く、大雪が降ったりもする。三寒四温を繰り返しながら、春に向かっていく。 ちろちろと流れ出す雪溶け水に、春の足音を感じる。

 

地方によっても違うようだが、この日に雛人形を飾ると良縁に恵まれるといわれている。

 

※雨水についての詳細はこちら→ 雨水


 

弥生(やよい) 3月

[2]

暖かな陽気にすべての草木がいよいよ茂るという意味の「弥生(いやおい)」がつまって「弥生(やよい)」になったとされている。

 

 

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[上巳=桃の節句(ひな祭り)]・・・節句(3月3日)

 

3月3日は「桃の節句」。本来は「上巳の節句」というが、ひな人形を飾り、女の子の健やかな成長を願う「ひな祭り」として親しまれているが、 じつは、老若男女を問わず幸せを願うものなのである。

 

 

 

■「上巳節」とひな祭りの由来

ひな祭りの起源は、300年頃の古代中国で起こった「上巳節」にさかのぼる。 「上巳(じょうし/じょうみ)」とは旧暦3月の最初の巳の日こと。のちに行事の日付が変動しないよう、3月3日となったが、もともとは女の子の祭りではなく、春を寿ぎ、無病息災を願う厄祓い行事だったのだ。

 

水で穢れを祓う「上巳節」:

上巳のころは季節の変わり目で、災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、古代中国では、この日に水辺で穢れを祓う習慣があった。この上巳節が遣唐使によって日本に伝えられると、宮中行事として取り入れられ、「上巳の祓い」として「曲水の宴」を催したり、禊(みそぎ)の神事と結びつき、紙や草で作った人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流したりするようになった。今でも一部地域でみられる「流し雛」は、この名残である。

 

女の子のままごと「ひな遊び」とドッキング:

平安時代ごろから、宮中や貴族の子女の間で紙の人形で遊ぶままごとが盛んになった。これを、大きいものを小さくする、小さくかわいらしいという意味の雛の字を用いて、「ひいな遊び」「ひな遊び」という。この遊びが上巳節と結びつき、男女一対の「ひな人形」に子どもの幸せを託し、ひな人形に厄を引き受けてもらい、健やかな成長を願うようになったのである。

 

桃パワーで邪気を祓う「桃の節句」:

やがてこれが武家社会に広がると、5月5日の男の子の節句に対して、3月3日が女の子の節句となり、別名「桃の節句」として定着していった。桃の節句というのは、桃の開花期に重なるというだけでなく、桃の木が邪気を祓う神聖な木と考えられていたからである。

 

ひな人形の発展と「ひな祭り」:

「人形流し」の人形(ひとがた)は草、わら、紙などで作られていたが、人形(にんぎょう)作りの技術が発展し高級化してくるにつれ、人形は流すものから飾るものへと変化していった。豪華な「ひな人形」を雛壇に飾るのが流行すると、女の子が生まれたらひな人形を飾ることがみんなの憧れとなり、「ひな祭り」として皆でお祝いをするようになったのである。

 

■「ひな人形」それぞれのいわれ

ひな人形は宮中の様子を表しており、主に婚礼を意味している。

 

【内裏(だいり)びな】:

内裏とは天皇の住まいである御所のことで、内裏様とお雛様が幸せの象徴となっている。 日本古来の並べ方は、左上位の考え方により向かって右に男びな、左に女びな(人形側から見ると、左上位で左に男びな)であったが、昭和天皇が国際マナーに則して右上位に並ぶようになってからは、向かって左に男びな、右に女びなを並べるようになった。今でも伝統を重んじる京都などでは、日本古来の並べ方である。

 

【三人官女(さんにんかんじょ)】:

内裏に仕える女官たち。中央の女官長はお酒を飲む盃を三方にのせて持ち(上方では松竹梅の飾りのついた「嶋台」)、結婚しているので眉毛がない(昔は結婚すると眉毛をそった)。向かって左の女官は、お酒の入った「加えの銚子」を持ち、口を開いている。向かって右の女官は、お酒を注ぐ「長柄の銚子」を持ち、口は閉じている。

 

【五人囃子(ごにんばやし)】:

能の演奏をする人たち。笛、太鼓、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおかわ)、謡(うたい)の五人で、それぞれの表情も違う。

 

【随身(ずいじん)】:

弓矢をつがえて宮廷を警護する人。向かって左の若者が右大臣、右の髭をはやした老人が左大臣で、それぞれ弓矢を持っている。

 

【三仕丁(さんじちょう)】:

宮中の雑用係で、15人のひな人形の中で、一番庶民的な人たち。怒りじょうご、泣きじょうご、笑いじょうごの3人なので、三人上戸(さんにんじょうご)ともいい、台笠(だいがさ。帽子をかける)、沓台(くつだい。靴をのせる)、立傘(たちがさ)を持ち、出掛けるときの様子をあらわしている。ほうき、ちりとり、熊手を持っている場合は、宮中を掃除する様子をあらわしている。

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■ひな人形納め

3月3日を過ぎても飾っていると、娘が縁遠くなるという言い伝えがある。これは、厄を移した人形を早く遠ざけたほうがよい、早く片付ける=早く嫁に行く、片付け上手な女性に躾ける、などの親心からきているという。

 

※ひな祭りについての詳細はこちら→ ひな祭り

 

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[啓蟄]・・・二十四節気の第3(3月6日頃)。

 

啓は「ひらく」、蟄(ちつ)は「土中で冬ごもりしている虫」の意味で、大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる頃。 菰(こも)はずしを啓蟄の恒例行事にしているところも多い。

 

まだまだ寒い時節ではあるが、一雨ごとに気温が上がり、日差しも徐々に暖かくなってくる。春雷がひときわ大きくなりやすい時季でもある。

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※実際に、動物や虫(種類によって違うが)が冬眠から目覚めるのは、最低気温が5度を下回らなくなってから、平均気温が10度以上になってからだそうだ。

 

※啓蟄についての詳細はこちら→ 啓蟄

 

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[社日]・・・雑節(3月17日)。

 

春分(3月21日頃)と秋分(9月23日頃)に最も近い戊(つちのえ)の日を「社日」という。春の社日は「春社」、秋の社日は「秋社」とも呼ばれ、土地の神様をまつる日とされている。

 

 

■社日の由来

春の社日の頃は種まきの時期にあたり、秋の社日の頃は収穫の時 期にあたる。そのため社日は重要な節目と考えられ、春は五穀の種子を供えて豊 作を祈り、秋は初穂を供えて収穫を感謝するようになった。 社日を祝う習慣は元々中国にあり、「土」という意味がある「戊」の日に豊作祈 願をするもので、「社」とは土地の守護神のことを表している。 この風習が日本に伝えられると、土地の神様を信仰する日本の風土に合い、重要 な農耕儀礼として全国に広まったようである。

 

■地域で違う様々な行事

社日は「土の神」をまつるので、この日は農作業など、土をいじ ることを忌む風習が各地に見られる。また、土地の守護神というよりも農耕の神 様と捉える地域もあり、信州の「お社日様」は春は神迎え、秋は神送りとして餅 をついて祝ったという。

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また、博多では古くから「お潮井」と呼ばれる箱崎浜の真砂を、「てぼ」という 竹かごに入れて持ち帰り、玄関先に下げておく風習がある。「災いを除き福を招 くもの」として、身を清めるお祓いに用いられたり、建物や土地のお祓いや田畑 の虫よけなどにもまいてお清めとする。 社日は、その土地ごとの神様を祝うので行事の形は様々である。

 

※社日についての詳細はこちら→ 社日

 

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[彼岸]・・・雑節(3月18日-24日)。

彼岸といえば墓参りが頭に浮かぶが、彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事だ。日本では、神仏両方を共にまつるという風土があるので、太陽神を信仰する「日願」と仏教の「彼岸」が結びついたからという説がある。また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りが先祖に感謝する気持ちにもつながって、彼岸は大切な行事となった。

 

■春彼岸と秋彼岸

彼岸には春彼岸と秋彼岸がある。それぞれ、春分の日(3月21日頃)、秋分の日(9月23日頃)を中日とし、その前後の3日を合わせた7日間を彼岸という。

 

【春彼岸】春分の日が3月21日の場合:

  3月18日:彼岸入り

  3月21日:彼岸の中日(=春分の日・祝日)

  3月24日:彼岸明け

 

【秋彼岸】秋分の日が9月23日の場合:

  9月20日:彼岸入り

  9月23日:彼岸の中日(=秋分の日・祝日)

  9月26日:彼岸明け

 

彼岸の中日である「春分の日」「秋分の日」は国民の祝日。祝日法によると、春分の日は『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』、 秋分の日は『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』となっている。また、春の彼岸を「彼岸」「春彼岸」と呼ぶのに対し、 秋の彼岸を「のちの彼岸」「秋彼岸」と呼び分けることもある。

 

■彼岸の意味と墓参り

春分と秋分は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日だが、彼岸に墓参りに行く風習は、この太陽に関係している。 仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の我々がいる迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸」(しがん)という。 そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになったのだという。

 

■暑さ寒さも彼岸まで

春分と秋分は、いずれも二十四節気のひとつで、暦の上では春と秋の折り目となる。春分と秋分は、昼と夜の長さがほぼ同じになるが、 春分以降は昼が長くなるため寒さが和らぎ、秋分以降は秋の夜長に向かうため涼しくなっていく。 こうして彼岸を迎えれば厳しい残暑や寒さに目処がつくため、「暑さ寒さも彼岸まで」というようになったのである。

 

■彼岸花

まるで彼岸に合わせたかのように、秋分のころに咲く彼岸花。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という別名は、サンスクリット語で「天界に咲く花」を意味する。 1日に10㎝以上も伸び、球根には毒があるが、昔は水にさらして毒を抜き、万一の時の非常食にもなったという。

 

■「ぼたもち」と「おはぎ」

彼岸の供えものの定番といえば、「ぼたもち」や「おはぎ」。どちらも、もち米とうるち米を混ぜて炊き、適度につぶして丸めたものを小豆あんで包んだ和菓子だが、春は春に咲く牡丹にちなんで「牡丹餅」といい、秋は秋に咲く萩にちなんで「御萩」というようになった。また、小豆は秋に収穫されるので、春はかたくなった皮を取ったこしあん、秋は皮ごと使った粒あんを使っていた。そのため、本来「牡丹餅」はこしあん、「御萩」は粒あんを使ってつくるのである。

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また、餅は五穀豊穣、小豆は魔除けに通じることもあり、日本の行事に欠かせないものである。昔は甘いものが貴重だったため、 ぼたもちといえばご馳走で、大切な客、祝い、寄り合いなどでふるまわれ、法要の際にも必ずお供えしていた。思いがけずよいことがあることを 「棚からぼたもち」といい、幸運の象徴にされていることからも、いかに人々の暮らしに根付いていたかがわかる。

 

※彼岸についての詳細はこちら→ 彼岸

 

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[春分]・・・二十四節気の第4 (3月21日頃)。

 

二十四節気のひとつ「春分」は、太陽がちょうど黄径0度(春分点)に到達した瞬間のこと。 太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになり、この日を境に昼間の時間が長くなっていく。

 

ヨーロッパなどでは、春分をもって春の始まりとしている。

 

春分の3日前から7日間を春の彼岸とし、春分は「彼岸の中日」という。 彼岸は日本独自の行事である。

 

雷が稲光り雷声が轟き始める時季でもある。 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、寒さは和らぎ過ごしやすい季節になる。 桜の開花情報が聞かれるのもこの頃からだ。

 

※春分についての詳細はこちら→ 春分


 

卯月(うづき) 4月

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卯の花(ウツギの花)が盛りになる月。また、田植えをするから「植月(うづき)」という説もある。

 

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[花見]・・・ 2月―4月(東京では4月上旬)

花見は、日本人が古来から楽しみにしていた春の行事だ。

 

「花見」といえば桜の花を見るために野山に出かけること。桜以外の花を見に行くときは「梅見」「観梅」「観菊」などとその花の名前をつけて表す。 昔から日本人にとって「桜」は特別な花だったのである。

 

■「花見=桜」は平安時代から

奈良時代には、花といえば梅や萩などを指していたが、平安時代の貴族たちは桜を春の花の代表格として愛で、歌を詠み、花見の宴を開いて楽しんでいた。

 

以来、この時季に咲き誇る花は、桜以外にも桃や菜の花など色々あるが、日本人にとっては「花」といえば桜の花を意味するようになった。

 

■花見で豊作祈願

また、花見は豊作祈願の行事として、農民の間でも行なわれていた。 桜は、春になって山からおりてきた田の神様が宿る木とされていたため、桜の咲き方でその年の収穫を占ったり、桜の開花期に種もみをまく準備をしたりしていたのだ。

 

「サクラ」の語源には諸説あるが、一説によると「サクラ」の「サ」は田の神様のことを表し、「クラ」は神様の座る場所という意味があり、「サクラ」は田の神様が山から里に降りてくるときに、いったん留まる依代(よりしろ)を表すとされている。また、桜の花が稲の花に見立てられ、その年の収穫を占うことに使われたりしていたため、「サクラ」の代表として桜の木が当てられるようになったという説もある。豊作を願って、桜のもとで田の神様を迎え、料理や酒でもてなし、人も一緒にいただくことが本来の花見の意味だったのだ。

 

■江戸時代の庶民の春の行楽、花見

江戸時代になると、春の行楽として花見が庶民の間にも広がり、酒を酌み交わす花見になっていった。江戸時代は、園芸が盛んになった時代でもあり、桜の品種改良が進んだことで、身近な場所で花見が楽しめるようになったのである。

 

三代将軍家光が上野や隅田河畔に桜を植え、八代将軍吉宗は飛鳥山を桜の名所にし、花見の場も増えた。これらは今でも東京の花見の名所になっている。

 

■江戸で開花の「染井吉野」

桜にはたくさんの種類があるが、日本の桜のおよそ8割を占めるのが「染井吉野」だ。桜の代表格ともいえる「染井吉野」は、江戸時代末期に、染井村(現在の豊島区駒込)の植木屋が、「大島桜」と「江戸彼岸桜」を交配して観賞用に作りだしたもの。当初は桜で名高い奈良県吉野にあやかり「吉野桜」という名であったが、吉野山の山桜と間違えないように「染井吉野」と改名されたのである。

 

花が大きく香りもよい「大島桜」の華やかさを、花が咲いたあとに葉が出てくるという「江戸彼岸桜」の特徴がより引き立てられた、この新品種は一躍人気となった。

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「染井吉野」は親木の利点を上手く受け継いだ逸品だったのだ。 「染井吉野」のもとになった「大島桜」や「彼岸桜」など、桜にはたくさんの種類がある。

 

※花見についての詳細はこちら→ 花見

 

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[清明]・・・二十四節気の第5(4月5日頃)。

清明は「清浄明潔」の略で、万物がけがれなく清らかで生き生きしているという意味。花が咲き、鳥は歌い、空は青く澄み、爽やかな風が吹き、すべてのものが春の息吹を謳歌する季節。この頃は各地での花が咲きほこり、花見シーズンを迎える。

 

南の地方ではつばめが渡って来る頃。雨が多い時季で、暖かくなった後に小雨が降り続いて寒くなったりもする。

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沖縄では「清明祭(シーミー)」といって、墓前に親族が集まり、酒・茶・お重を供えた後、皆でご馳走を食べる習慣がある。

 

※清明についての詳細はこちら→ 清明

 

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[穀雨]・・・二十四節気の第6(4月20日頃)。

春の柔らかな雨に農作物がうるおうという意味。この時期に農作物の種をまくと、雨に恵まれ、よく成長するといわれている。 この時季に、特に雨が多いというわけではないが、穀雨以降、降雨量が多くなり始める。

 

「清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」という言葉があるように、南の地方ではトンボが飛び始め、冬服やストーブとも完全に別れる季節である。

 

変わりやすい春の天気もこの頃から安定し、日差しも強まってくる。 昔から、この時期に降る雨は、百穀を潤し芽を出させる春雨として 「百穀春雨」といわれている。 穀雨は、種まきなどを始めるのに適した時期なので、農作業の目安にされており、農家はこの日を田植えの準備をする目安にしているようだ。

 

※穀雨についての詳細はこちら→ 穀雨



 

皐月(さつき) 5月

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早苗を植える「早苗月(さなえづき)」が略されて「さつき」となり、後に「皐月」の字があてられた。「皐」という字には水田という意味がある。

 

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[八十八夜]・・・ 2月―4月(東京では4月上旬)

八十八夜は季節を知らせる雑節のひとつ。立春から数えて88日目の日を指し、毎年5月2日頃がこの日に当たる。「八十八夜の別れ霜」といわれるように、この頃から霜が降りなくなり、日に日に夏めいていく。八十八を組み合わせると「米」という字にもなり、農業に従事する者にとっては五穀豊穣を願う特別重要な日とされてきた。農家では稲の種まきや、茶摘みが始まるのだ。今でも、農耕開始の到来を祝って神事が行われるところもある。

 

■茶摘み

夏も近づく八十八夜

野にも山にも若葉が茂る

あれに見えるは茶摘みじゃないか

あかねだすきに菅の笠

この文部省唱歌の「茶摘み」がきっかけで、八十八夜といえば茶摘みというイメージが定着した。実際の茶摘みの時期は九州から北上していくので、八十八夜のころはだいたい関西あたりが茶摘みの時期になることが多いようだ。

 

絣(かすり)に赤いたすきがけの茶摘みの衣装はこの季節の風物詩でもある。 また、八十八夜に摘んだお茶を飲むと長生きするともいわれている。

■「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の忘れ霜」

「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の忘れ霜」とは、急に気温が下がって遅霜(晩霜)が降り、農作物に被害を与えることを警戒した言葉である。農作物の多くが新芽を出したりして、育ちはじめるころなので、この時期の遅霜は農作物に大きな被害を与える。

しかし、八十八夜が過ぎれば、遅霜が降りることは少なくなり気候も安定することから、八十八夜は昔から農作業の目安とされ、農家ではこの頃から本格的に農作業にとりかかったのである。

 

※八十八夜についての詳細はこちら→ 八十八夜

 

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[端午=菖蒲の節句]・・・節句(5月5日)

大空を泳ぐ鯉のぼりは、初夏の風物詩。古代中国から伝わった「端午」の行事は、日本で「端午の節供」となり、その意味や祭りは長い間に幾度も変化し続けてきた。あるときは、皆のために。またあるときは、乙女のために。 人々の生活にいろいろな形で浸透してきた5月5日は、今も昔も元気をくれる日といえる。

 

■「端午の節句」と「こどもの日」の由来

 

男の子の成長を願う節句。 「端午」とは、「月の初めの午(うま)の日」を意味するが、5月が十二支でいう午の月であることから、「端午」といえば5月5日をさすようになった。

 

古代中国では、この日を薬採りの日としていて、薬草を摘んで野遊びをしていた。 菖蒲は、煎じて飲んだりし、昔から薬草として使われていたのである。 男の子の節句とされるまでは、厄病を祓う節句で「菖蒲の節句」とも呼ばれていたという。

 

菖蒲(しょうぶ)と蓬(よもぎ)で邪気祓い」: 

さらに古代中国では、この時期は雨季にあたり、病気や災厄の祓いは大事な行事であった。盛りを迎える香り高い菖蒲や蓬が邪気を祓うとされ、蓬で作った人形(ひとがた)を軒に飾ったり、菖蒲酒を飲んだり、菖蒲湯に浸かって邪気祓いをしていた。

くす玉は厄除けグッズ: こうした古代中国の風習が日本に伝わり、平安時代に「端午の節会(せちえ)」という宮中行事になって、菖蒲で屋根を葺いたり身体に付けたりしていた。「くす玉」は端午の節供に欠かせない厄除けグッズで、当時は菖蒲や蓬の茎や葉で玉を編み、隙間を花や五色の糸で飾っていたのだ。貴族同士で薬玉を贈りあう習慣もあり、こうした様子は、『源氏物語』や『枕草子』にも登場している。

 

日本古来の早乙女のおまつり: もともと日本では、田植え月の五月に「五月忌み」という日本古来の行事をしていた。神聖な行事である田植えは早乙女(若い清らかな女性のこと)がするものとされ、田植えの前には、一定期間心身を清める「物忌み」をしていたのである。ここに「端午の節供」が結びつき、早乙女は菖蒲や蓬で屋根を葺いた小屋に一晩こもり、菖蒲酒を飲んで穢れを祓い、神聖な存在になってから田植えに臨むようになった。つまり、女性のためのお祭りであり、当時の女性にとっては堂々と休める嬉しい日でもあったのだ。

 

武士の時代に男の子の祭りに: その後、武士の力が強くなると、「菖蒲」が武を尚(たっとぶ)「尚武」や「勝負」に通じ、葉の形が刀に似ていることから、兜に菖蒲を飾ったり流鏑馬(やぶさめ)をするようになり、男の子のおまつりに変わっていった。さらに、江戸幕府によって五節供のひとつに定められると、男の子が強く逞しく成長して立身出世することを願う行事として定着していったのである。

 

昭和になって「こどもの日」に制定: 昭和23年に「国民の祝日に関する法律」で「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日となり、男女の別なく祝うようになった。

 

■鯉のぼりの由来

5月が近づくと、あちらこちらで鯉のぼりを見かけることができる。 どうして鯉のぼりを揚げることになったのだろうか?

登龍門伝説にあやかって: 江戸時代、男の子が生まれた印として幟(のぼり)を立てた武家をまね、粋な町人たちが和紙で作った鯉の幟を揚げたのが始まりだ。鯉は立身出世のシンボルで、鯉が滝を昇って龍になったという「登龍門 」伝説に由来する。

 

吹き流しはなぜ五色?: 鯉のぼりの中には五色の吹き流しがあるが、この色にも意味がありのだ。古代中国の陰陽五行説に由来し「木=青・火=赤・土=黄・金=白・水=黒」を表している。これを五色(ごしき)といい、陰陽五行説では、この5つの要素がこの世のものすべての根源と考えられていうのである。

 

■五月人形の由来

「五月人形」は、人形が人の厄を受けてくれるという身代り信仰のひとつで、有名な武者を模したものを「武者人形」と呼び、勇ましい男子に育つよう願いが込められている。人形は一人一人の身代わりなので、長男に金太郎、二男に牛若丸というように、一人に一つそれぞれの分を飾るのだ。

【金太郎】

坂田金時の幼名で、その怪力童子ぶりが伝説となる実在の人物。源頼光に見出されて家来となり、「頼光四天王」のひとりとして活躍した。

【牛若丸】

源義経の幼名。7歳で京都の鞍馬寺に預けられ、武芸を磨いた。

【弁慶】

京都の五条大橋で牛若丸と出会って戦ったが、とてもかなわず家来に。知恵と怪力で大活躍し、豪傑の代名詞だ。

【鍾馗(しょうき)】

中国の皇帝の枕元にあらわれた幻の英雄。邪悪なものや疫病から守る魔除けの神。 【鎧(よろい)】や【兜(かぶと)】 武士の命を守る大切な道具を飾り、様々な災いから子供を守って逞しく成長するよう願うのだ。頭上のマークは武将の家紋で、その勇姿に成長を重ねていくのである。

 

※端午の節句についての詳細はこちら→ 端午

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[立夏]・・・二十四節気の第7(5月7日頃―2018年は5月5日)

 

二十四節気のひとつで、この日から立秋の前日までが暦の上では夏となる。 新緑に彩られ、さわやかな晴天が続く頃。 九州では麦が穂を出し、北海道ではジャガイモや豆の種まきが始まる。 また、ちょうどゴールデンウィークの時期にもあたり、レジャーに出かけるにも最適の季節だ。

 

■いまも残る田植えの神事

旧暦では6月に当たっていたため、梅雨入り前に豊作を願う祭りが多く行われており、いまでも全国各地で御田植祭り が行われている。 田植えの神様は男性なので、女性が主役の祭りが多いのが特徴だ。

 

昔は、稲を田んぼに植え付けるのは女性の仕事であった。今はほとんど機械化されているが、当時の神聖な行事を後世に残すため、そして豊作を祈るため、 各地で神事が行われている。天候を占ったり、田楽(でんがく)を舞ったり、田植えの神事は郷土色豊かだ。

 

また、田植えの神事は端午の節供と深い関係がある。→ [3]

 

※立夏についての詳細はこちら→ 立夏

 

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[8]

[小満]・・・二十四節気の第8(5月21日頃)

陽気がよくなり草木が成長して茂り、野山に満ち始めることから小満といわれている。

ようやく暑さも加わり、麦の穂が育ち、山野の草木が実をつけ始め、紅花が盛んに咲き乱れる。 梅の実がなり、西日本では、走り梅雨がみられる頃。田植えの準備を始める頃でもある。

通常は、この後晴れた日が続き、その後本格的な梅雨に入る。 「梅雨の走り」ともいう。

 

※小満についての詳細はこちら→ 小満

 


 

水無月(みなづき) 6月

 

旧暦の6月は梅雨明け後で夏の盛りであることから、水が涸れて無くなる月であるという説と、田んぼに水を張るので「水月(みなづき)」が変化したともいわれている。

 

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[芒種]・・・二十四節気の第9(6月6日頃)

 

(のぎ)」とはイネ科植物の穂先にある毛のような部分のことで、稲などの穀物の種をまく時期という意味。田植えの目安とされ、農家が忙しくなる時期といわれる(実際の種まきは、これよりも早い時季に行われる)。

 

梅の実が青から黄色に変わり、百舌が鳴き始める。かまきりや蛍が現れ始めるのもこの頃。 梅雨入りも間近で少し蒸し暑くなってくる頃だ。 次第に梅雨めいて、五月雨(さみだれ)の季節に入る。

 

※芒種についての詳細はこちら→ 芒種

 

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[入梅(にゅうばい)]・・・雑節(6月11日頃)

 

梅雨に入ることを「入梅」というが、農作業をする上で雨期を知ることはとても重要なことから、江戸時代に暦の上での「入梅」が設けられ、雑節のひとつとなった。

 

※雑節ついての詳細はこちら→ 雑節

 

■暦の「入梅」と気象の「梅雨入り」

昔は芒種以降の最初の壬(みずのえ)の日、立春から135日目などとされていたが、現在は太陽の黄経が80度に達した日とされている。

 

暦の上ではこの日から梅雨だが、実際は気象庁の発表する「梅雨入り宣言」が目安。南北に細長い日本は、北と南では気候も大きく違い、梅雨入りも梅雨明けも、ほぼ南の方から順にやっている。 梅雨の期間は約1ヶ月半から2ヶ月くらいで、年によって変動する。

 

「入梅」に対し、梅雨明けすることを「出梅」という。 ちなみに、暦の上の入梅は毎年6月11日頃。関東地方の梅雨入りの平年値は6月8日頃で、梅雨明けの平年値は7月21日頃である。 北海道では梅雨はない。

 

 

■「入梅」は梅の季節

梅が実る頃だからその名が付けられた「入梅」。つゆも「梅雨」と書く。

青梅も出回りはじめる頃。梅干し作りはちょっと大変だが、梅酒なら簡単にできる。6月につければ8月には飲みごろとなる。

 

 

※「梅酒の作り方」はこちら→ 梅酒

 

■梅雨時だけの赤じそを使って

梅雨に入ってまもなく、赤じその葉がスーパーや八百屋に出回る。 しそは「紫蘇」と書くとおり、本来は赤じそで青じそはその変種である。赤じそは6月から7月の梅雨時だけのもので、梅干しを漬けるのに使うが、葉を煮だしてしそジュースにするのもよい。

 

 

※「しそジュースの作り方」はこちら→ しそジュース

 

入梅鰯(にゅうばいいわし): 梅雨時の真鰯のこと。 このころの鰯は産卵前で、年間を通して最も脂がのっておいしいとされている。

 

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[夏至(げし)]・・・二十四節気の第10 (6月21日頃)

 

 

二十四節気のひとつで、「夏に至る」と書くように、この日を過ぎると本格的な夏の到来だ。 北半球では太陽が1年で最も高い位置にきて、昼間が一番長い日になる。冬至の日と比べると、北海道の根室で約6時間半、東京では約4時間40分も長くなるのだ。 ただ、このころは梅雨の時期でもあるため、あまり日が長く感じられないこともある。

 

 

■夏至祭

「夏至祭」は太陽の生命力を得るための祭りで、北欧など世界各地で行われている。 日本で有名なのは、三重県二見浦(ふたみうら)の祭り。ここでは、夏至の時期だけ大小仲良く並んだ夫婦岩の間から朝日が昇る。 日本には夫婦岩がたくさんあるが、岩の間から朝日が昇るのは大変めずらしく、夏至のころしか見られない特別な光景なのだ。

 

※夏至ついての詳細はこちら→ 夏至

 


 

文月(ふみづき/ふづき) 7月

 

短冊に歌や字を書く七夕の行事から「文披月(ふみひろげづき)」、稲穂が膨らむ月ということで「ふくみ月」、これらが転じて「文月」になったといわれている。

 

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[半夏生(はんげしょう)]・・・雑節(7月2日頃)

 

 

夏至(6月21日頃)から数えて11日目の7月2日頃から七夕(7月7日)頃までの5日間を半夏生(雑節※)という。

 

※雑節ついての詳細はこちら→ 雑節

 

 

■田植えを終える目安

「半夏生」は気候の変わり目として、農作業の大切な目安とされている。 田植えは「夏至の後、半夏生に入る前」に終わらせるものとされ、それを過ぎると秋の収穫が減るといわれてきた。

 

無事に田植えが終わると、水田や神棚に餅やお神酒を供え、田の神に感謝する「さなぶり」という行事を行なうところもある。また、この日の天気で収穫のできを占ったりしもした。 関西地方ではタコの足のように大地にしっかり根付くようタコを食べ、近畿地方では収穫した小麦で「半夏生餅」を作って田の神に供えるなど、各地に半夏生ならではの風習がある。

 

■七十二候の一つ「半夏生」

「半夏生」は、雑節の中では唯一、七十二候からとられた名称。「半夏生」の「半夏」は「 烏柄勺」(からすびしゃく)という薬草のことで、この薬草が生える時期を指した名称だといわれている。サトイモ科で、地下にある球茎の皮を取って乾燥したものが漢方薬の生薬「半夏」。 

 

※七十ニ候ついての詳細はこちら→ 七十ニ候

 

また、「半夏生」という名前の草もあるが、七十二候でいう「半夏」とは別の植物だ。名前の由来は、半夏生の頃に花が咲くからとする説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」と呼ばれたのが「半夏生」になったとする説などがある。また、古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれていた。

 

■物忌みの日

半夏生の5日間は働くことを忌み、天から毒が降るので井戸にふたをし、この日に採った野菜も食べてはいけないといわれていた。また、ハンゲという妖怪が徘徊する(三重県)、竹の花を見ると死ぬので竹林に入ってはいけない(埼玉県)など、様々な物忌み(ものいみ)が行なわれていた。 さらには、この時季に筍・わらびなどを食べることや種を撒くことを忌む風習もあった。

 

これらは、田植えで疲れた体を休めるための昔の人の知恵だといわれている。

 

※半夏生ついての詳細はこちら→ 半夏生

 

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小暑(しょうしょ)・・・二十四節気の第11(7月7日頃)

 

七夕が行われる7月7日頃(2018年は7月7日)から大暑(7月23日頃)までの期間。

 

だんだん暑さが増していくという意味で、梅雨明けも近くなり、湿っぽさの中にも夏の熱気が感じられるようになる。海や山に出かけるのにもいい時期だ。

 

小暑を迎えると、衣食住のあらゆるものが夏向きのものに変わる。 また、小暑と大暑を合わせたおよそ1か月を「暑中」といい、「暑中見舞い」を出す期間とされている。

 

■暑中見舞い

お盆の前に贈り物を持って直接訪問した名残りで、訪問するかわりに挨拶状を出すようになったのが始まりだといわれている。

出す時期は小暑から立秋の前日まで。正式には大暑からという説、夏土用の間に出す説もある。

 

この期間であっても梅雨の間は控え、梅雨明けした後に出すのがよい。日付は書かず「〇〇年 盛夏」「〇〇年 〇月」とするのが一般的。 立秋以降は残暑見舞いになる。

 

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[七夕(たなばた)=笹の節句]・・・節句(7月7日)

 

旧暦の7月7日の夜に行われる行事。
別名「笹の節供」「星祭り」といわれる七夕は、江戸時代に五節供の一つに定められ、今でも広く親しまれている。七夕といえば、どことなくロマンチックに感じられるが、その由来を紐解いてみると、色々な文化が結びついていることがわかる。

 

■「笹の節供」の由来

七夕の由来は、よく知られている織姫・彦星の星物語から始まる。新暦の7月7日はまだ梅雨のさなかで星空もよく見えないかもしれないが、旧暦の七夕は現在の8月なので夜空もきれなので、天を仰ぐのも一興。

 

天の川に輝く琴座のベガが織姫(織女星)で、鷲座のアルタイルが彦星(牽牛星)。この2つの星と白鳥座のデネブを結んだものが「夏の大三角形」と呼ばれ、夏の星座を探す目印になっている。白鳥座は、二人の橋渡し役となるカササギだ。 さて二人の星物語は・・・

 

■ロマンチックな織姫と彦星の星物語

天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいた。織姫は機織りの名手で、美しい布を織り上げては父親である天帝を大変喜ばせていた。そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になった。


ところが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまったのだ。


しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、七夕の夜に限って二人が再会することを許した。こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度の逢瀬をするようになったということである。

 

■七夕のルーツ「乞巧奠」

この二人の逢瀬を祝い、中国で「乞巧奠」(きっこうでん)という行事が催されるようになった。「乞」は願う、「巧」は巧みに上達する、「奠」はまつるという意味で、織姫にあやかり機織りの技が上手くなるように、ひいては様々な手習いごとの上達を願ったのである。

 

「乞巧奠」が奈良時代の遣唐使によって日本に伝わると、宮中行事として取り入れられるようになった。詩歌や裁縫の上達を願って星に祈りをささげ、梶(かじ)の葉に和歌をしたためて、お祀りしていたといわれてが、梶の葉の裏側は細くて滑らかな毛がたくさん生えているため墨の乗りがよく、紙の原料としても使われていたからだという。

 

宮中行事を伝承する京都の冷泉家では、いまでも古式ゆかしい七夕の歌会や乞巧奠がとり行われており、梶の葉が重要な役割を果たしているそうだ。

 

■どうして七夕(たなばた)と呼ぶの?

日本では機で織った布を祖霊や神にささげたり、税として収めたりしていた。旧暦の7月はお盆や稲の開花期、麦などの収穫期にあたる。

 

そこで、お盆に先立ち祖霊を迎えるために乙女たちが水辺の機屋にこもって穢れを祓い、機を織る行事が行われていたのだ。水の上に棚を作って機を織ることから、これを「棚機」(たなばた)といい、機を織る乙女を「棚機つ女」(たなばたつめ)と呼んだ。笹竹には、神迎えや依りついた災厄を水に流す役目があったのだという。

 

やがてこの行事と乞巧奠が交じり合い、現在のような形に変化していった。そして、7月7日の夕方を表して七夕(しちせき)と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)にちなんで七夕(たなばた)という読み方に変わっていったのである。

 

■短冊に願い事は江戸時代

笹竹に短冊をつるして願い事をするようになったのは、江戸時代から。手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子が増えたことから、星に上達を願うようになったから。本来はサトイモの葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、その墨で文字を綴って手習い事の上達を願う。サトイモの葉は神からさずかった天の水を受ける傘の役目をしていたと考えられているため、その水で墨をすると文字も上達するといわれているからである。

 

こうした本意を踏まえると、短冊には「○○が欲しい」というような物質的な願いごとではなく、上達や夢を綴ったほうがよいだろう。

 

■五色の短冊の意味

短冊には、願いごとや「天の川」など七夕にちなんだことばや絵を書いて下げる。五色(ごしき)というのは、中国の陰陽五行説にちなんだ「青、赤、黄、白、黒」の五色。陰陽五行説とは、古代中国の「木、火、土、金、水」の五つの要素が、この世のものすべての根源である」という説で、「木=青・火=赤・土=黄・金=白・水=黒」を表している。

 

■短冊以外の七夕飾りの意味

笹には短冊の他にもさまざまな飾りをつけるが、そのひとつひとつに意味がある。

 

吹き流し:

織姫の織り糸を表しており、五色を用いて魔除けの意味もある。紙風船かくす玉に五色の紙テープを適当な長さに切って貼りつける。
網飾り:魚を捕る網を表し、豊年豊作大漁の願いを込めて飾る。
折鶴(千羽鶴):長寿を願い、長寿のシンボルである鶴を折り紙で折る。
神衣(かみこ):紙の人形(着物)を飾ると、裁縫が上達し、着るものに困らなくなるといわれている。災いを人形に移すという意味もある。
財布(巾着):金運上昇を願い、折り紙で折ったり、本物の財布を下げたりする。
くずかご:ものを粗末にしないという意味で、七夕飾りを作る時に出た紙くずを、折り紙のかごに入れてつるす。

 

■全国の有名な七夕祭り

「月遅れの七夕」として、8月7日前後に七夕を行う地域が全国にある。旧暦では7・8・9月が秋にあたるため、7月といえば初秋の行事。そのころの季節感で祭りができるよう、ひと月遅れの8月に七夕を行うところも多いのだ。

 

ねぶた祭り(青森県青森市): 七夕の夜にケガレを人形に移して川や海に流したのが始まりで、京都の文化が日本海を渡って伝来したという説もある。「ねぶた」は「眠気をはらう」からきているそうだ。 仙台 七夕祭り(宮城県仙台市): 商店街が主催する大規模な七夕祭り。豪華絢爛な七夕飾りが有名で、全国から観光客が訪れる。

 

七夕人形(長野県松本市): 家々の軒先に七夕人形をつるし、子どもの着物を着せて厄祓いをするという全国でも珍しい七夕習俗だ。

 

精大明神例祭(京都府京都市): 蹴鞠(けまり)の神様に蹴鞠を奉納後、地元の少女たちが、元禄時代の姿で七夕小町踊りを披露する。精大明神例祭の行われる白峯神宮は、蹴鞠の神様『精大明神』を祀る事からサッカーの神様として有名。

 

■七夕そうめん

七夕の行事食はそうめん。意外に知られていないが、千年も前から七夕の行事食となっていた。節供に旬のものを食べ、邪気を祓ったり無病息災を願ったりする風習がたくさんあるが、夏にそうめんもそのひとつ。暑さで食欲が減退するこの時期にぴったりで、天の川や織姫の織り糸に見立てることもできる。

 

※七夕そうめんについて詳の詳細はこちら → 七夕そうめん

※七夕ついての詳細はこちら→ 七夕

 

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[7]

[土用(どよう)]・・・雑節(夏土用 7月20日(土用の丑) ― 8月6日)

 

土旺用事(どおうようじ)の略。 土用というと夏を思い浮かべるひとも多いと思うが、土用は各季節にある。

 

立春、立夏、立秋、立冬前の18日間(または19日間)を土用という。 中国の陰陽五行説からきており、万物の根源とされる「木火土金水」を四季にあてはめると、春=木、夏=火、秋=金、冬=水になり、あまった「土」を立春・立夏・立秋・立冬前の約18日間にあてはめたものが土用である。

 

土用は、次の季節へ移る前の調整期間といえる。 一般的には立秋前の18日間の夏土用をさす。この期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す時期でもある。

 

また、夏土用に入って3日目が晴れれば豊作、雨が降れば凶作といわれている。この豊凶占いのことを「土用三郎(どようさぶろう)」という。


2018年は
冬土用:1月17日~2月3日
春土用:4月17日~5月4日
夏土用:7月20日~8月6日
秋土用:10月20日~11月6日
 *最初の日を「土用入り」最後の日を「土用明け」という。

 

「土用の丑の日」とは:
昔から日にちには十二支が割り当てられており、土用の約18日間にめぐってくる丑の日を「土用の丑の日」という。 やはり季節ごとに「土用の丑の日」があるが、今ではもっぱら夏の土用をさすようになりました。年によっては「土用の丑の日」が2度巡ってくることもあり、2度目を「二の丑」という。

 

「う」のつくもので、夏バテ防止:
梅干し・うどん・うりなど「う」のつくものを食べて夏バテ防止をする風習があり、「う」のつくうなぎは、まさに疲労回復効果抜群の食べものとされていた。

 

『万葉集』に大伴家持が痩せこけた知人の夏痩せ防止にうなぎを勧める歌があり、かなり古くからうなぎが夏バテ防止に効く食べものとして注目されていたことがわかる。

 

こうしたことを江戸時代の蘭学者・平賀源内が夏場の営業不振に悩んでいた鰻屋に助言し、土用の丑の日=うなぎブームが広がったという説もある。

 

丑湯:
夏バテ防止や疲労回復のため、土用の丑の日に薬草を入れた風呂に入る風習がある。これを「丑湯」という。 ドクダミや緑茶などさまざまな薬草が用いられたが、江戸時代は桃の葉を入れた桃湯を丑湯としていたそうである。

 

土用の虫干し:
夏の土用は梅雨明けと重なるため、大切なものを風に当てて湿気をとる「土用の虫干し」が行われていた。 昔は着物や履物だけでなく、掛け軸や書物も虫干ししていたという。

 

土用にしてはいけないこと:
土を犯してはいけない(土を掘り起こしてはいけない)。 土用の期間は、土を司る土公神(どくしん・どくじん)という神様が支配するといわれ、土を動かしてはいけないとされてきた。

 

今でも、家などを建築する際、土を掘り起こしたりする基礎工事などは土用の期間をはずす方が多いようだ。 土用は季節の変わり目であるから、農作業で体調を崩さないようにとの戒めもあると思われる。

 

※土用についての詳細はこちら →土用

 

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[12]

大暑(たいしょ)・・・二十四節気の第12(7月23日頃)

 

 

7月23日頃(2018年は7月23日)から立秋までの期間。

 

梅雨明けの時季で、夏の土用もこの頃。いよいよ本格的な夏の到来だ。大暑とは、最も暑い頃という意味だが、実際の暑さのピークはもう少し後になる。 農家にとっては田の草取り、害虫駆除など暑い中での農作業が続く大変な時期だ。

 

■打ち水

大暑の日に合わせて、各地で行われる打ち水のイベントも、もう 恒例行事となっている。

 

打ち水とは、道路や庭に水をまいて土埃を防いだり涼を得たりすることで、昔からの伝わる生活の知恵である。 もともとは神様が通る道を清めるためのものであったが、江戸時代には、主に涼を得ることが目的となった。

 

※大暑についての詳細はこちら → 大暑