星の創造
ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画より
天地創造(てんちそうぞう)とは、厳密にはユダヤ教のヘブライ語聖書、キリスト教の旧約聖書『創世記』における世界の創造のことを指す。宗教絵画などでよく題材となる。[1]
目次
1 天地創造の流れ
2 年代推定の歴史
3 一般的ではない解釈
4 脚注
5 関連項目
天地創造の流れ
ヒエロニムス・ボスの『悦楽の園』の扉、
両翼を閉じると現れる外面に描かれた天地創造時の地球
おそらく天地創造三日目の大地、海、植物の創造時で、まだ人間は誕生していない
ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、以下のような天地の創造が描かれている。
創世記 1章1-8節(口語訳聖書)
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、
神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。
神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
夕となり、また朝となった。第一日である。
6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
そのようになった。
7 神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
1日目 神は天と地をつくられた(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。
暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができられた。
2日目 神は空(天)をつくられた。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせられた。
4日目 神は太陽と月と星をつくられた。
5日目 神は魚と鳥をつくられた。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた。
7日目 神はお休みになった。
年代推定の歴史
旧約聖書学では、創世記の記述内容としての「天地創造が起こった年代」は果たしていつだったのかについての推定が繰り返されてきた。
ただし前提として、批評的な旧約聖書学では、天地創造物語は信仰書であり、信じている内容を記述しているという事は、批評的な全ての学者が認めており、もはや「実際に・事実として、いつ起こったことか、どうか」は、研究・議論されていない。ただし、「当時の人々がいつ起こったと考えていたのか?それはどういう信仰・根拠だったのか?」などは研究されている。
正教会では西暦で言うところの紀元前5508年のことだとしており、これを元年とした「世界創造紀元」を用いていた。
1654年に、英国国教会のアイルランド大主教ジェームズ・アッシャーとケンブリッジ大学副総長ジョン・ライトフットが聖書の記述から逆算し、天地創造は西暦の紀元前4004年10月18日〜24日にかけて起こり、アダム創造は紀元前4004年10月23日午前9時と算出し、長らくキリスト教圏ではこの年代が信じられてきた(旧約聖書のモーセ五書に登場する族長全員の寿命を加算して算出したもの)。 その他にも天地創造の年代には諸説ある。
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『タルムード』 前3760 - 2年
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フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』 前5444年
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ユリウス・アフリカヌス『年代誌』 前5500年
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エウセビオス『年代記』 前5199年
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アウグスティヌス『神の国』 前5351年
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ベーダ『時間計算論』 前3952年
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オットー・フォン・フライジング『年代記』 前5500年?
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スレイダヌス『四世界帝国論』 前3954年
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スカリゲル『時間修正論』 前3948年
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ペタヴィウス『年代表』 前3984年
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ボシュエ『世界史論』 前4004年
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ペズロン『古代復元』 前5873年
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ガッテラー『普遍史序説』 前3984年、『世界史』 前4182年
一般的ではない解釈
一般的ではない解釈も少なからず存在する。例えば、天地創造はある嵐で流された子どもの認識順序を表したものだ、というものである[2]。
脚注
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