【プロテスタント】

プロテスタント(英語: Protestantism、Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではカトリック教会(旧教[1])に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。

 

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目次

 

1 概説

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概説

 

名称

 

プロテスタントという総称は、その担い手達がローマ・カトリック教会に抗議(ラテン語: prōtestārī, プローテスターリー)したことに由来する[2]

 

系統

 

プロテスタントは主にカトリック教会から分離した教派、さらにそこから分離した教派を指す。正教会をはじめとした東方教会から分離した教派を指すことはない(古儀式派などはプロテスタントとは呼ばれない)。

 

聖公会英国国教会)は、カトリック教会から分かれてプロテスタントの教義から影響を受ける一方で、カトリック教会の信条・聖職制度・典礼等を引き継いでいるという経緯がある。そのため、聖公会をプロテスタントに分類する見解もあり、聖公会も自身を「宗教改革の結果生まれた教会としては、プロテスタントに属している」と規定している。一方で、カトリックの伝統も受け継いでいることから「中道の教会」「橋渡しの教会」とも位置づけている[3]英国王室では、王位継承者でプロテスタント信仰を持っている者、正教の信仰を持っている者は王位継承後、スコットランド国教会にも帰属しなければならないとしており、この場合聖公会はプロテスタントに含まれると考えられる。

 

カトリックから分離した教派であっても、上述のようにプロテスタントと自認している聖公会をそのように呼ぶか否かは、各教団・信徒個人で意見が分かれる。また同じくカトリックから分離した教派である復古カトリック教会は、プロテスタントを自認する聖公会とはフル・コミュニオンの関係にありながら、カトリックを自称しておりプロテスタントには含まれないとされる。このように、プロテスタントなのかそれ以外なのか線引きの難しい教派や教団も見られる。

 

非常に稀な例ではあるが、プロテスタントの流れでありながら正教会の奉神礼を採用しているエヴァンジェリカル・オーソドックス教会という教派も存在する。これは元々福音派系プロテスタントであった教派が結果的に正教会の奉神礼を採用したのであり、源流は正教会ではなくカトリック分離組の流れ(福音派経由)のプロテスタントである。なお、この教派の多くの教会は最終的にどこかしらの地域の正教会に合流しており、独自のプロテスタント教派としては現在では数を減らしている。

 

系統概略図

キリスト教諸教派全体からみた系統概略。更に細かい分類方法と経緯がある。
聖公会、プロテスタント、アナバプテストについて上図より詳しい系統図であるが、これもあくまで大まかな
流れであり、さらに細かい分類方法・経緯がある。

福音派とエキュメニカル派の相違

 

プロテスタントは福音派エキュメニカル派に二分されている[4][5][6][7][8]

福音派の聖書観は、十全霊感である。

エキュメニカル派のプロテスタントの聖書観は二つに大別される。

  • 新正統主義は部分霊感である。
  • リベラル派は否定霊感である。

他教派との相違

 

当項の冒頭にもあるように「プロテスタント」は諸教派の総体であって、プロテスタント全体の代表者や指導者のような存在(カトリック教会における教皇正教会における総主教)や、プロテスタント全体を統括するような教団連合組織はない[9]。また、各教派の成立自体も初代統一プロテスタントからの分離・離脱から生じ、複数に別れたといったものではなく、最初期のプロテスタントであるアナバプテストルター派カルヴァン派ツヴィングリ派などは互いの影響は受けつつも、それぞれ全く別個に成立したもので、最初から統一されたプロテスタントは存在しなかった。それ故、前出の聖公会などをはじめ、「プロテスタントなのか、そうでないのか」が曖昧で線引きの難しい教派・教団が生まれる結果にもなっている。それぞれの成立については本項の系統の節を参照。

 

対して、カトリック教会はそれに属するすべての教会が中央であるローマ教皇庁バチカン)に結び付いている。正教会は基本的には国や地域ごとに教団は複数に分かれているものの、同じ教義・奉神礼を共有し、相互にフル・コミュニオン関係を維持する連合体として存在しており、イスタンブールコンスタンディヌーポリ総主教庁を全地総主教庁と呼ぶなど、名誉的にではあるが全正教会の筆頭・総本山的扱いとしている[10]。そういった意味では、カトリックや正教会と同じような意味・用法での「プロテスタント」という名の教派は存在しないのである。

 

「プロテスタント」の語は66巻の聖書を共有するキリスト教について使われており、同じ正典を用いる人々の分派を教派(ディノミネーション)とし、違う正典[11]を用いる分派は宗派[12](セクト)として区別されることがある[13]

 

プロテスタントは同じ教派でも宗教法人としての教団は更に分かれていることも多い。例えば、同じルーテル教会としての教派と自己規定していても、「○○ルーテル教団」「△△ルーテル〜教会」「○○ルター派××教団」といった法人が分かれているケースもあり、さらに法人が別なだけでなく交流すらないケースもある。これは移民や宣教によって成立母体が異なる場合や、教義の解釈によって分裂が起こることに起因する。逆のパターンとしては日本基督教団などのように、異なる教派同士が一つの超教派教団[14]に所属している場合もある。

また、ルーテル教会には修道院制度が僅かながら存在するが、他のプロテスタント諸派には修道院制度が存在しないなど、プロテスタント諸派の間には小さくない差異がある。

 

国教会と自由教会

 

Cuius regio, eius religio(領主の信仰が、汝の信仰)の原理は、欧州の外では通用せず、アジア地域などにおいて敬虔主義が伝道の原動力になった[15]国教会から独立した教会は自由教会(フリーチャーチ)と呼ばれている[16][17][18]

 

合同教会

 

複数のプロテスタント教派が共同で合同教会を作る動きが特に20世紀になって盛んになっている。 [19] [20] カナダ合同教会北インド教会Church of North India)、南インド教会Church of South India)、中国基督教協会などである。

 

信徒分布

 

キリスト教徒が人口の過半数を占める国で、プロテスタントが他のキリスト教諸宗派より多い国は、ドイツスウェーデンフィンランドノルウェーデンマークアイスランドエストニアイギリスケニアガーナナイジェリアリベリアシエラレオネマラウィコンゴ共和国ザンビアジンバブエボツワナナミビアスワジランド南アフリカオーストラリアニュージーランドパプアニューギニアフィジートンガソロモン諸島バヌアツアメリカジャマイカなどとなっている。ただし、宗教改革発祥の地であるドイツはカトリックとほぼ拮抗した状況となっている[21]。中国は人口に占めるキリスト教徒の割合は5%程度だが、絶対数で見れば多く、そのうちプロテスタントが8割以上を占める。キリスト教徒人口の割合が3割と、アジアの中では比較的高い韓国は、うち6割以上がプロテスタントとなっている。日本のキリスト教徒は、半数近くの約90万人がプロテスタントとされている[21]

 

歴史

 

1517年以降、マルティン・ルターらによりカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が起こされた。

 

1524年、ドイツ農民の不満を背景に、急進派トマス・ミュンツァー率いる武装農民が蜂起し、これに対してルター派の諸侯らが激しく衝突、多くの犠牲が生じたいわゆるドイツ農民戦争が勃発した。1529年にルター派の諸侯や都市が神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対して宗教改革を求める「抗議書(Protestatio, プロテスタティオ)」を送った。そのためこの派は「抗議者(Protestant, プロテスタント)」と呼ばれるようになった。

 

ルターらは洗礼聖餐以外の教会の諸秘跡を排し、聖書に立ち返る福音主義を唱え始め、また西方教会では、それまでほとんどラテン語でのみ行われていた典礼聖書をドイツ語化するなど、著しい改革を行った。このため次第にルター派は北ドイツからドイツ全体へ広まり、その信者は増加していった。ルターは信仰義認という教理を提唱した者としてよく知られている。ルター派の特に信仰義認は、カトリック教会トリエント公会議などにより排斥された。その結果として別個の教派を築くこととなった。

 

宗教抗争は政治権力抗争とも絡み、ドイツ地域の内乱状態は30年間続いた。内乱終結のアウクスブルクの和議1555年)により、プロテスタントもカトリック教会と同様に信教の自由の地位を保証されることとなる。ルター派は北方に広まり、デンマークスウェーデンノルウェーで国教となった。

 

ドイツ改革とほぼ同時期に、スイスでも宗教改革運動が起こった。カトリック司祭のフルドリッヒ・ツヴィングリは「聖書のみ」、「信仰のみ」という教理を展開し、彼の弟子たちから幼児洗礼を否定し再洗礼を認めるアナバプテスト派が生じ、後に改革派教会からも排斥されることになる(ウェストミンスター教会会議)。また、ツヴィングリは、聖餐論においてルター派と対立することになる。

 

内乱状態の後を受けて、ジェネラル・バプテスト派(普遍救済主義バプテスト)、メソジストのウェスレー派などに継承されることになる。なお現在、各教団の神学の基本思想としてカルヴァンかアルミニウスかの2極に分かれる傾向がある。

 

16世紀末頃、英国国教会の内部において、ピューリタンと呼ばれる改革派教会の方向へ改革を求める人々が現れた。イングランドのカルヴァン主義は、ジョン・ノックスのスコットランドの影響を受けていたが、更にこの改革運動を急進的にし、国教会から非合法に教会を建てようとする者らが現れた。彼らは分離派と呼ばれる。ピューリタンおよび分離派は、国教会の特に監督制に反対し会衆制を主張した。分離派は、国教会から分離せずに内部から教会改革を志すピューリタンに対しても、偽りの教会に属するとして相互聖餐を拒否していた。英国の分離派の思想は、ロバート・ブラウン(Robert Browne) に始まったとされる。これがやがて、ジェネラル・バプテスト派の母教会の牧師ジョン・スマイス(John Smyth) に受け継がれる。スマイスはジェネラル・バプテスト派の創始者トマス・ヘルウィス (Thomas Helwys) に恩師として影響を与えた。ただし、当時ウォーターランド派メノナイトとの合併を考えていたスマイスが、ヘルウィスに対して具体的にどれだけの影響を与えたかは、教理史的議論の決着がなされていない。またパテキュラー・バプテスト派は、元英国国教会司祭であったヘンリー・ジェイコブ牧師により発足した非分離派会衆主義教会から、より分離派的教会を求めて離脱した者ら数十名が、再洗礼を行って教会を新設したことにはじまったとされる。

 

18世紀、英国のオックスフォード大学内でジョン・ウェスレージョージ・ホウィットフィールドが指導するグループから始まった運動が、英国全土にメソジスト(方法論者)という名で広がるようになった。そして、この運動はアメリカに渡り第一次大覚醒に至ったが、独立戦争が始まる際に一部英国に帰国することとなった。1784年アメリカに残ったメソジスト宣教師らを監督教会として認める25箇条のメソジスト憲章が定められる。1845年米国のパティキュラー・バプテスト派は、奴隷問題と国外伝道政策に関する見解の相違で北部バプテスト同盟(現在の米国バプテスト同盟)と南部バプテスト連盟とに分裂する。この頃、米国メソジスト教会にも同様の分裂が起こるが、やがて分裂は終結する。19世紀後期のアメリカのメソジスト系統からホーリネス派が起こり、これを基盤にペンテコステ派が起こる。さらにペンテコステ派によるペンテコステ運動は他教派におよび、聖霊派として知られている。また、カリスマ派はペンテコステ派から起こるが、WCCに加盟したことにより、エキュメニズムに反対するペンテコステ派から排斥される。

 

同じく18世紀アメリカ再臨運動が起こり、この運動に参加する信徒は再臨派(アドベンチスト派)と呼ばれた。

 

19世紀に入り再臨運動がさらに活発化すると幾つもの再臨派系教派がここから分裂、組織化した。その中でもエレン.G.ホワイトらが活発に活動し、日曜ではなく、イエスが当時守っていた日が土曜日であった事実と、旧約律法通りでもある土曜を礼拝日とするSDA(セブンスデー・アドベンチスト教会)が出現した(この教会は、宗教分類学的にはキリスト教系の新宗教に分類される[22][23][24])。

 

フリードリヒ・シュライエルマッハーから始まる近代神学、自由主義神学聖書高等批評学のプロテスタント教会への浸透に対抗して、英国の福音主義同盟1846年、9カ条からなる福音主義信仰の基準を告白した。また20世紀初頭に英米においてキリスト教根本主義運動が起こった。20世紀半ばの1948年に自由主義プロテスタントとローマ・カトリックを中心としたエキュメニカル運動の組織世界教会協議会が成立したが、それに対して福音主義同盟を創立会員として1951年世界福音同盟が結成された。第二次大戦後に台頭した福音派はエキュメニカル運動に対し、1974年ローザンヌ世界伝道会議を開催し、ローザンヌ誓約が発表された。また福音派は新福音主義とも呼ばれ、福音伝道と宗教改革の福音主義を強調する。福音派は個人の伝道活動の実践、ビリー・グラハムの大規模な伝道活動などにより教勢を拡大し、学的にもウェストミンスター神学校フラー神学大学ホィートン・カレッジクリスチャニティ・トゥディなどにより大きな影響力を与えるようになった[25][26][27]

 

諸教派一覧


社会学における見解

 

プロテスタンティズムと近代社会

 

社会学などで研究、議論の対象となるヨーロッパの近代化は、特にその初期において、プロテスタント革命によって強力な後押しを得たものだとする見解がある。

 

その最も有名な説はマックス・ヴェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に展開されたもので、清教徒など禁欲主義的なピューリタニズムが支配的な国家において、労働者が合理的に効率性生産性向上を追求する傾向を持っていたことが指摘されている。ヴェーバーによれば、プロテスタントの教義上、すなわち自らに与えられた職業を天職と捉えるルターの思想と、それに加えてカルヴァンによる予定の教理(二重予定説)によって、貧困は神による永遠の滅びの予兆である反面、現世における成功は神の加護の証であるとされたことから、プロテスタント信者、特に禁欲的ピューリタニストは、自分が滅びに定められたかも知れないという怖れから逃れるために、自らの仕事に一心不乱に(ヴェーバーはここで「痙攣しながら」というドイツ語を用いている[29])打ち込むことで、自分が神に救われる者のひとりである確認しようとしたという心理があるという。なお、社会心理学者のエーリヒ・フロムも、『自由からの逃走』の第3章「宗教改革時代の自由」において、ウェーバーの説を援用しながら、そのような心理が権威主義的なものであることを分析し、ファシズムと同様の権威主義的な要素が古プロテスタンティズムに既に内包されていたとする見解を示している。

 

また、ダニエル・ベルは『資本主義文化矛盾』で、このような合理主義の精神が、芸術におけるモダニズムの運動と共に、近代社会のあり方を規定した主要因であったとする。また、1960年代以降、消費社会と結びついたモダニズムの影響力が拡大し、プロテスタンティズムに由来する近代の合理主義を脅かしているとも診断する。

 

プロテスタントと近代の関わりについてはもうひとつ、異なる側面を扱った説があり、やはり広く知られている。教会に赴いて他の教徒と一緒に説教を聞いたり、賛美歌を歌うことによって信仰を実践していたカトリックに対して、プロテスタントは当初、個々人が聖書を読むことを重視した。集団で行う儀式に比べて読書は個人中心の行動であるため、一部の論者はこれを近代社会に特有な個人主義と結び付けて考える[30]

 

参考文献

  • 『個人主義論考 近代イデオロギーについての人類学的展望』 ルイ・デュモン著 渡辺公三・浅野房一訳 ISBN 4-905913-46-2 1993年

脚注

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  1. ^ ただしカトリック教会自身は「旧教」を自称したことはなく、カトリック教会ではまったく使われない呼称である。
  2. ^ protestant (Dictionary.com)
  3. ^ 日本聖公会大阪教区
  4. ^ 宇田進『福音主義キリスト教と福音派』
  5. ^ 尾山令仁『クリスチャンの和解と一致』地引網出版
  6. ^ 共立基督教研究所『宣教ハンドブック』
  7. ^ 日本福音同盟『日本の福音派』
  8. ^ ピーター・バイヤーハウス『宣教のめざす道-エキュメニカルと福音派の間-』いのちのことば社
  9. ^ 各教派、教団ごとの代表者、代表理事などの経営・運営上のトップは殆どの場合存在する
  10. ^ ローマ教皇庁のような、全教会政治の最高権限を有しているわけではない。
  11. ^ この場合の違いは、旧約聖書に関して、カトリック側が七十人訳聖書に準拠したラテン語訳聖書に依るのに対して、プロテスタント側がユダヤ戦争後に正典化されたヘブライ語聖書を底本とするだけの違いで、前者に含まれる一部の文書が正典化されたヘブライ語聖書から外された第二正典を旧約聖書に含むか含まないかの違いである。
  12. ^ ただし、日本語の宗派の語は元来仏教用語であって、キリスト教系で使用する機会は滅多にない。
  13. ^ 尾山令仁『聖書の教理』羊群社
  14. ^ 日本基督教団は日本の政治的事情により結成された超教派ではあるが、戦後の再編で福音派とされる系統の教会は所属していないメインライン・プロテスタントの教団であると認識されている。
  15. ^ 渡辺信夫『アジア伝道史』いのちのことば社
  16. ^ 日本伝道会議『日本開国とプロテスタント宣教150年』2009年
  17. ^ トマス・ブラウン『スコットランドにおける教会と国家』すぐ書房
  18. ^ ケアンズ『基督教全史』聖書図書刊行会
  19. ^ カナダ合同教会に歓迎!
  20. ^ 合同教会について (英語)
  21. ^ a b https://web.archive.org/web/20131101114257/http://www.pewforum.org/files/2011/12/Christianity-fullreport-web.pdf
  22. ^ 井門富二夫『カルトの諸相 キリスト教の場合』岩波書店1997年
  23. ^ 『異端の歴史』教文館1997年
  24. ^ J.G.メルトン (1992). Encyclopedic Handbook of Cults in America. Garland. 
  25. ^ 宇田進『現代福音主義神学』いのちのことば社
  26. ^ マクグラス『キリスト教の将来』教文館
  27. ^ 古屋安雄『激動するアメリカ教会』ヨルダン社
  28. ^ 「ルーテル」はルターの舞台ドイツ語読み
  29. ^ 折原浩『ヴェーバー学のすすめ』未来社、2003年
  30. ^ ルイ・デュモン・1993

 

関連項目


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