【 イエス (イエス・キリスト) 】
『全能者ハリストス(キリスト)』
(聖墳墓教会のドーム内)
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イエス・キリスト(紀元前6年ないし紀元前4年頃 - 紀元後30年頃[1]、ギリシア語: Ίησοῦς Χριστός[2])は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されている[3]。イエスの存在については1世紀の歴史家がその著作の中で言及している。
本項では、ナザレのイエスについてのキリスト教における観点とその他について述べる。
かつてのカトリック教会では、イエスは「イエズス」と日本語で表記されていた。
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目次
2.1 イエス
2.2 キリスト
2.3 イエス・キリスト
3 イエス・キリストとは何者か
4 イエス伝
4.1 旧約聖書
4.2 降誕と幼少時代
4.3 受洗、荒野の誘惑
4.4 宣教活動
4.5 受難、死、復活、昇天
4.6 キリストの再臨
5 歴史的人物
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
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キリスト教の多くの教派において、三位一体の教義の元に、神の子が受肉して人となった、真の神であり真の人である救い主として[3][4][5]信仰の対象となっている。
「イエス」は人名。ヘブライ語からギリシャ語に転写されたもの。「神は救い」「救う者」を意味する[5][6]。
「キリスト」は「膏をつけられた者」という意味の、救い主の称号。膏をつけられるのは旧約聖書において王・預言者・祭司であったが、イエス・キリストが旧約のそれら全ての前例を越える形で新約の時代においてはこの三つの職務を併せ持っていたことを示していると解される[6][7]。
イエスの言行を記した福音書を含む『聖書』は世界で最も翻訳言語数が多い歴史的ベストセラーであり、音楽・絵画・思想・哲学・世界史などに測り知れない影響を与えた。
イエスは、「イエースース」の慣用的日本語表記である。現代ギリシア語では「イイスス」となる。
元の語は、アラム語のイェーシューアすなわちヘブライ語のヨシュアで、「神の救い」「神は救い」「救う者」を意味する[5][6]。『旧約聖書』の「民数記」や「ヨシュア記」に登場するユダヤ人の指導者ヨシュア等と同名である。
これらのギリシア語表記の語尾は主格形であり、格変化すると異なる語尾に変化する。日本語の慣例表記「イエス」は、古典ギリシア語再建音から、日本語にない固有名詞の格変化語尾を省き、名詞幹のみとしたものである。
中世以降から現代までのギリシャ語からは「イイスス」と転写し得る。日本正教会がもちいる「イイスス」は、Ίησοῦς の中世ギリシア語・現代ギリシャ語に由来する転写である。正教古儀式派では、イススという、東スラヴ地域でかつて伝統的だった呼称を現在も用いている。
かつての日本のカトリック教会ではロマンス語の発音からイエズスという語を用いていたが、現在ではエキュメニズムの流れに沿ってイエスに統一されている[8]。戦国時代から江戸時代初期にかけてのキリシタンは、ポルトガル語の発音からゼズまたはゼズスと呼んでいた。
アラビア語からは「イーサー」と転写し得る。
詳細は「キリスト」を参照
「キリスト」は固有名詞ではなく称号である[9]。
イエス・キリスト像
(『全能者ハリストス』)
12世紀に制作された、アギア・ソフィア大聖堂のモザイクイコン(イスタンブール)
左手に聖書を持ち、右手は指の形がΙησούς Χριστός(イイスス・フリストス[10])の頭文字である「ΙΣΧΣ」を象るように整えられ
(伸ばした人差し指:Ι、曲げた中指と小指が:Σ、親指と薬指の交差がΧ)、見る者を祝福する形に挙げられた姿で描かれている
「イエス・キリスト」はギリシャ語で主格を並べた同格表現であって、「キリストであるイエス」「イエスはキリストである」の意味である。マタイ伝・マルコ伝はそれぞれの冒頭で「ダビデの子イエス・キリスト」「神の子イエス・キリスト」と呼び表しており、この結合表現は新約の他の文書でも用いられている。パウロ書簡には「イエス・キリスト」とならんで「キリスト・イエス」の表現も見られるが、紀元1~2世紀の間に「イエス・キリスト」の方が定着していった。
「キリスト」は救い主への称号であったため、キリスト教の最初期においては、イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことは「イエスがキリストであることを信じる」という信仰告白そのものであったと考えられる。
しかしキリスト教の歴史の早い段階において、「キリスト」が称号としてではなくイエスを指す固有名詞であるかのように扱われはじめたことも確かであり[11]、パウロ書簡においてすでに「キリスト」が固有名詞として扱われているという説もある[12][13]。
以下、イエス・キリストとは何者かについて、正教会、カトリック教会、聖公会、プロテスタントに共通する見解を、主に教派ごとの出典に基づいてまとめる。
各エピソードの詳細は、それぞれの項目を参照。
『イエスの神殿への奉献』
(1886年 - 1894年頃の作品、ジェームズ・ティソ, en:James Tissot)
ヨセフの婚約者であったマリアは、結婚前に聖霊により身ごもった。紀元前4年12月25日、天使の御告によりヨセフはマリアを妻に迎え男の子が生まれ、その子をイエスと名づけた。キリスト教ではこの日を記念しクリスマスとして祝う。しかし、聖書中にはイエスの誕生日を明言している箇所は無く、イエスの誕生日が12月25日であるという確証は無い。むしろ、ルカ2:8でイエスが生まれた時に「羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。」とあることから、イエスが12月に誕生していないことが分かる。(ベツレヘムの12月は冬でありそのような時期に羊飼いが夜に戸外にいるのを見かけることはない)
イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカの福音書によれば、大変聡明な子であったという。
『曠野のイイスス・ハリストス』
(1872年作、イワン・クラムスコイ)
その頃、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで「悔い改め」を説き、洗礼を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼を受ける。
そののち、御霊によって荒れ野に送り出され、そこで四十日間断食し、悪魔の誘惑を受けた。
荒野での試練の後イエスはガリラヤで宣教を開始する。また弟子になった者の中から12人の弟子を選び、彼らに特権を与えた。十二使徒と呼ばれる。
その後、イエスと弟子たち、また彼らを支える女性たちの活動は2年数ヶ月に及ぶ[22]。
、長老たち、サドカイ派との問答 マルコ 11:27 マタイ 21:23 ルカ 20:1
『ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)の夕べ』
(1869年)
ハリストス(キリスト)の埋葬準備の光景
自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪により、衆議会の裁判にかけられた後、ローマ総督府に引き渡されゴルゴタの丘で磔刑(はりつけ)に処せられた。
その後、十字架からおろされ墓に埋葬されたが、3日目に復活し、大勢の弟子たちの前に現れた。肉体をもった者として復活したと聖書の各所に記されている。
正教会、カトリック教会、プロテスタントなど多くの教派で、キリストの死者の中からの復活は、初期キリスト教時代からの教えの中心的内容とされており[23][24][25][26]、多くの教派で復活祭は、降誕祭(クリスマス)と同等か、もしくは降誕祭より大きな祭として祝われる。
歴史学の近代的な研究手法が19世紀以降、福音書の研究に用いられてから、イエス・キリストの歴史学的研究は幾つかの時代を推移した。当初は合理主義による偏見、また20世紀には酷評的な研究手法を経た現代では、イエス・キリストに関する研究はより肯定的で寛容と言える。前世紀中頃、懐疑主義にみまわれたイエス・キリストの研究はその懐疑主義を脱したと言える。現代では、イエス・キリストが実在した歴史学的及び文学的背景についてより多くの知見が得られている。これは、福音書関連文学、すなわちイエス・キリストと同時期のユダヤ文学及び福音記者の研究により、福音書の記載及びユダヤ時代におけるイエス・キリストという人物についてより詳細に知り、理解を深めることが可能となったからである[30]。
他方で、古代ギリシャ・ローマに関する研究からは、古代ギリシャ思想がイエス・キリストのガリラヤ地方へ及ぼした影響、すなわちガリラヤ地方と古代ギリシャ文化の接点についてより深く知ることができる。また、恐らく正典福音書より後に記載されたであろう外典福音書の内容、並びに2世紀の他のキリスト教及びユダヤ教書物は、イエス・キリストの時代の慣習を分析し、福音書の記載をより適切な背景に位置づけることを可能とした。更に、最近の考古学的発掘も、歴史におけるイエス・キリストの研究に貢献している。特にガリラヤ地方における発掘は、古代ギリシャ文化を承継している1世紀のパレスチナ地方の文化を明示するうえで興味深い。最後に、これらの史料をより深く理解するために、歴史学並びに聖書注釈に関する近代的な研究手法が適用され、従前の研究手法の限界や厳格さを乗り越えている。
イエス・キリストについての歴史学的な知見は確固なものであり、福音書は信仰の対象として相応しい。キリスト教に対して中立的な立場をとる歴史学者であっても、福音書を通してイエス・キリストの人柄や振る舞いとその使命について知ることができる[31][32]。
外部リンク
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