【 西 域 】

紀元前1世紀の西域諸国(タリム盆地)

 

西域(さいいき、拼音:xīyù)は、古来、中国人が中国の西方にある国々を呼んだ総称である。本来は東トルキスタンをさしたが、拡張されて西トルキスタン、さらに地中海沿岸に至る西アジアをもいう。

 

[概念]

 

古代中国において玉門関陽関が西の境界とされ、それよりも西方の国々が記録のうえに明確に現れたのは『史記』「大宛伝」が最初だが、ここには西域の語はみえない。『漢書』にいたって初めて西域の語が現れ、西方の国々のことを記した「西域伝」が作られる。この西域伝では西域の地理について「南北に大山あり、中央に川あり、東西六千余里、南北千余里」と述べているので、タリム盆地、すなわち東トルキスタンをさしていることが明らかである。しかし、『漢書』西域伝には東トルキスタンの国々ばかりでなく、西トルキスタンインドイランなどの国々についても記されている。その後、中国歴代の正史のいくつかは西域伝を載せているが、その地理的範囲はすべて『漢書』と同じである。

 

[地理]

 

西域とはだいたいトルキスタンを指し、時にはインド西アジア西アジア,ヨーロッパまでを指すこともある。トルキスタンの国々はさらにパミール高原をはさんで東西に分けることができる。まず、東トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)では、トルファン盆地伊吾高昌車師前部など),ジュンガル盆地(車師後部など),タリム盆地焉耆亀茲于闐莎車疏勒楼蘭など),イリ地域(烏孫)の国々があり、西トルキスタン(いわゆる中央アジア)では、ソグディアナトハリスタン大宛康居大月氏大夏昭武九姓)の国々がある。

 

以下、 -上記以外、西域に関する記事の詳細は「西域・「歴史」以降」を参照-


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