【ジャヤーヴァルマン8世】

ジャヤーヴァルマン8世(?-1295年、在位1243年-1295年)は、アンコール朝の第二十二代国王。彼の治世は52年間に及び、歴代のアンコール朝の王の中でも最長を記録している。

 

[略歴]

先代の国王・インドラヴァルマン2世 の子供とも言われているが、実際の関係は不明確な部分があると言われている。ただ、王族だったことは間違いないだろう。

 

[廃仏事件]

政権掌握に当たっては既存の仏教勢力と対立したと見られ、ヒンドゥー教を信奉していた。

 

王になった後、先々代国王・ジャヤーヴァルマン7世アンコール・ワット周辺に大量に建立した仏教寺院から仏像を大量に撤去・破壊させ、ヒンドゥー教寺院に改造した。この事実は2001年になって大量の廃仏が発見されたことから判明した。

 

この事などから、ジャヤーヴァルマン8世の治世は従来の学説とは異なり、衰退期ではなく先々代の寺院の建立による財政難を克服したそれなりの繁栄期であったと考えられるようになった。 [要出典]

 

[モンゴル襲来]

1283年、クビライ率いる軍がアンコール・トムに侵攻。1285年と1292年に元朝に朝貢し、和を結んだ。

 

[暗殺]

1295年、仏教徒で義理の息子のインドラヴァルマン3世によって暗殺された。

 

1296年に周達観が王の治世の真臘を訪問しており、そのときの見聞を「真臘風土記」として著した。


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