【 武 帝 】

武帝

 

武帝(ぶてい)は、前漢の第7代皇帝。平陽公主ら3人の同母姉がいる。彼の治世下で、前漢は最盛期を迎える。

 

[生涯]

 

即位:

景帝の十男(九男とも)として生まれ、魔除けのためにあえて悪字を用いた「彘」(てい、ブタの意)の幼名を与えられる。4歳の時、膠東王(山東省にあった王国)に封ぜられた。先に皇太子に立っていた栗夫人が生んだ長兄の劉栄(栗太子・臨江閔王)を押しのけて16歳で即位した。即位に当たって太皇太后の竇氏の意向が強く働いていたために、即位当初は竇氏が実権を握っていた。皇后は伯母の館陶公主劉嫖(景帝の同母姉)が産んだ陳皇后(元勲・陳嬰の孫の堂邑侯陳午の娘)である(このいとこ同士の夫婦の仲は険悪で、祖母の竇太皇太后が亡くなると、近侍の張湯の助言で離縁した)。

 

呉楚七国の乱により有力な封王が倒れたことで、武帝は中央集権への移行を目指した。諸侯王が自分の領地を子弟に分け与えて列侯に封建するのを許し、これは推恩の令と呼ばれる。これにより諸侯王の領土は細分化された。 また、郷挙里選の法と呼ばれる官吏任用法を採用した。これは各地方郷里の有力者とその地方の太守が話し合って当地の才能のある人物を推挙するもので、武帝は特に儒教の教養を身につけた人物を登用した 。また、董仲舒の献策により五経博士を設置し、儒教を官学とした。

 

以下、 -外征・治世後半・[歴史的評価]等、武帝に関する他の項目の詳細は

武帝・外征以降」を参照-


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