[季節のめぐりと暦]

 

今も昔も日本人は季節に寄り添いながら暮らしている。 ほかにも四季のある国はたくさんあるが、緯度や経度によって状況は異なるため、四季折々の情景や季節感は、日本の風土によって生まれたものなのだ。

 

では、日本人の季節感が称賛されることが多いのはなぜなのか? それは、日本人の繊細な感覚により、四季折々に豊かな文化を生み出しているからかもしれない。われわれは、暑い寒いといった皮膚感覚にとどまらず、花鳥風月をめでるなど季節の風情を大切にしており、幼いころから自然に親しみ、季節を愉しむすべを会得しているのである。

 

桜が咲くと春が来た喜びを感じ、祭りばやしに心躍らせ、旬の味覚に舌鼓を打つ。夏の日差しにじりじりと焼かれ、冬の寒さに襟を立てる。なにげなく、五感で感じているものが、実は季節であり、歳時記のひとつなのだ。

 

季節とともにめぐる歳時記は、今も昔も暮らしを豊かにするツールである。 歳時記のもとになる暦は、この季節の移り変わりの目安として編み出されたものだ。暦の中に二十四節気や雑節といった季節の目安が設けられ、季節感を共有しているのも大きなポイントで、節分や立春といったごく馴染みのものごとも、季節と暦の関係からきている。 暦を知ることで、季節のめぐりがよくわかのである。

 

■新暦と旧暦について

地球上の生き物は、太陽と月のもとで生きている。太陽の傾きが暑さ寒さに影響し、月の巡りが潮の満ち引きや大潮小潮をもたらすのだが、動植物はこれらの変化に合わせて成長しているので、暦はただ単に日付を追うものではなく、生きる指標でもある。

 

暦には大きく分けて、太陽の運行をもとにした「太陽暦」、月の満ち欠けをもとにした「太陰暦」、太陽と月の両方を取り入れた「太陰太陽暦」がある。

 

現在、日本を含め多くの国で使われている暦は、古代エジプトを起源とするグレゴリオ暦で、太陽の運行をもとにした太陽暦である。地球が太陽をひと回りする周期を1年とするもので、季節の流れに忠実だが、月のめぐりとは無関係に進むので、月のめぐりに影響される潮の動きや動植物の変化がわかりにくいのが難点である。

 

日本で太陽暦が採用されたのは、明治6年(1873年)。それまでは、太陰太陽暦を長い間使っていた。そこで、新しく採用された暦を新暦、古い暦を旧暦と呼ぶようになったのである。

 

旧暦の太陰太陽暦は古代中国を起源としており、7世紀に日本に伝えられ、何度も改良が重ねられた。幕末から明治にかけて使われていたものを、天保暦という。

 

太陰太陽暦には、太陽と月のめぐりの両方が取り入れられている。月の満ち欠けをもって1か月となるが、月が地球の周りを一巡するのは29.53日なので、12か月で354日となり、太陽暦より11日短くなる。すると、月のめぐりだけの太陰暦では季節がずれてしまい1月なのに夏の暑さになってしまうこともあるので、太陰太陽暦は32~33か月に一度うるう月を入れて13か月とし、そのずれを解決している。

 

■暦と季節がずれているわけ

 

旧暦と新暦のずれ

旧暦から新暦への移動により、旧暦の明治5年12月3日が新暦の明治6年1月1日になった。このため、新暦ではおよそ1か月季節が早くなり、桃の節句に桃が咲かず、七夕は梅雨の最中という具合に、ずれが生じるようになってしまう。そこで、ひと月遅れで行事をしたり、旧暦の日付で考えたりする場合もある。

 

二十四節気と季節感のずれ

2月初めに立春を迎え、「暦の上では春ですが」といわれても、なかなか実感がわかない。この原因は、二十四節気が古代中国で作られ、文化の中心地だった黄河流域、今でいう華北地方の気候をもとにしているからである。華北地方は東北北部と同緯度の寒冷地で、大陸性気候と島国日本の気候では、時として季節感にずれが生じるのだ。

 

もともと二十四節気は太陽の動きをもとに作られているため、旧暦(太陰太陽暦)でも新暦(太陽暦)でも変わりはなく、移行するわけにもいかないのである。

 

二十四節気の詳しい説明はこちら→ 二十四節気