【カンボジア王国】

カンボジア王国(カンボジアおうこく)は、かつてカンボジアに存在した国家。1970年に、このカンボジア王国が倒れてから勃発したカンボジア内戦を経て、1993年に誕生した現在の「カンボジア王国」についてはカンボジアを参照。

 

[概要]

 

長らくフランス植民地支配を受けていたカンボジアは、大日本帝国東南アジア侵攻に乗じて1945年3月12日に独立を宣言。日本の敗戦によって、戦後は再びフランスの保護国となるが、1947年には憲法を公布するなど独立運動は継続された。1949年にはフランス連合内での自治権を獲得し、1953年に独立を達成した。翌1954年に正式にカンボジア王国が成立し、初代国王としてノロドム・シハヌークが即位した。

 

独立運動の中心的人物であり、「独立の父」として尊敬を集めた国王シハヌークは、翌年には王位を父のノロドム・スラマリットに譲り、総選挙に向けてサンクム(人民社会主義共同体)を結成し圧勝、自ら首相兼外相に就任した。立憲君主制においては国王の行動にさまざまな制約があるため、精力的な政治活動を志向するシハヌークに王位は不要だったのである。更に1960年にスラマリットが死去すると、シハヌークは新たな官職「国家元首」を創設し、自らこれに就任した。ただし王位は空位とされ、名目上の王制が継続された。当時のシハヌークを日本の報道が「シアヌーク殿下」という曖昧な表現にしていたのはこのためである。

 

1965年5月、ベトナム戦争が本格化すると、シハヌークの治めるカンボジアは北ベトナムを支持、南ベトナムを支援するアメリカ合衆国と断交した。1968年にアメリカ空軍による北爆がはじまるとカンボジアも空爆を受けるようになり、国内情勢は切迫。この様な中で時には親米の態度を取るなど対外的には姿勢が定まらず、シハヌークと対立する勢力は時に登用され別の時には弾圧されるなど国内に於いては独裁的な体制を敷いた。このため汚職や政治的な不満が絶えず、1970年に外遊中のシハヌークの留守中ロン・ノル首相が主導する格好で国会がシハヌークの元首解任を議決。名目上は存続していた王制を廃止し、同年10月9日にはクメール共和国の樹立を宣言した。


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