【 放 伐 】

放伐(ほうばつ)とは、中国史において、次の天子となるべき有徳の諸侯などが、無道な暴君や暗君を天下のために、討伐して都から追放するという行為である。

 

[概要]

 

かつての中国の伝説においては、有徳な君主から有徳な人物へ天子の位が譲られた(伝説上の禅譲)とされた。しかし夏の時代にいたって世襲制度になった。その世襲の王朝が交替する場合は、放伐がなされるようになった。 王朝の末期に暴君王を (天乙)王がうち破ったのが最初であるとされる。

 

ただし夏王朝の実在性については、未だ議論の最中であり、確定はしていない。歴史上明らかな放伐の最初は、武王 が殷の暴君帝辛(紂王)を討った事例である(『史記』の記述)。

 

湯王と武王の故事に由来するので湯武放伐(とうぶほうばつ)ともいう。その名の通り、その後の中国史においては、放伐の事例はあまり見られない。実質上は明らかな放伐であっても禅譲の形式を踏んだり、漢民族以外の異民族の侵入によって王朝の交替がなされた。


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