【西フランク王国 】

西フランク王国(仏:Francie occidentale 独:Westfrankenreich)は西ヨーロッパに存在した王国(843年 - 987年)。フランス王国の原型にあたる。

 

カール大帝が西ヨーロッパを統一したフランク王国も、大帝の死後早くから、内部紛争により国家分裂の危機が生じていた。帝国分裂を防ぐため、度々帝国整理令が出されるが、効果は上がらず、843年、皇帝ルートヴィヒ1世(ルイ1世)の死後、彼の3人の遺児が帝国を分割統治し、ヴェルダン条約により、正式に帝国は分裂。

 

帝国西部旧ローマ属州ガリア地方に西フランク王国が、イタリア半島北部を中心に中部フランク王国(ロタール相続領)、帝国東部ゲルマニア地方に東フランク王国が成立。

 

西フランク王国の初代はシャルル2世(カール2世)、禿頭王とも呼ばれる。地方分権化が進み、王権は当初から弱体で、このことは後のフランス諸王朝の悩み種となる。

 

987年にルイ5世(ルートヴィヒ5世)の夭折をもってカロリング家の血統は断絶し、王室の姻戚関係にあるカペー朝のユーグ・カペーが継承した。以後、フランス王国と呼ばれる。

西フランク王国(緑)と中部フランク王国(黄色)、

東フランク王国(橙色)の領域。


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