【マウリキウス】

 

マウリキウス(Mauricius, 539年 - 602年11月27日)は、東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第5代皇帝(在位:582年 - 602年)。

先帝ティベリウス2世に男児がいなかったため、娘コンスタンティナの夫であったマウリキウスが582年、義父の死により即位することとなった。

 

即位後は西のランゴバルド族の侵攻に対応するため、ラヴェンナとアフリカのカルタゴに総督府を設置した。 また、サーサーン朝ペルシア帝国から亡命してきたホスロー2世)に娘マルヤムを嫁がせて復位を助け、 ホスロー2世が復位を果たすとサーサーン朝と和睦を結ぶなど、対外政策に尽力した。

 

しかし、この頃になるとユスティニアヌス1世の時代より相次いで続く戦争による戦費のため、帝国財政が悪化の一途をたどっていた。 このため、マウリキウスは国費削減のため、軍隊に必要な物資を現地で調達するよう命じ、これが軍隊の反発を招いた。

 

さらに帝国に侵入するスラヴ人やアヴァール人を討伐するためにドナウ川北岸での越冬作戦を命じたが、 これに対してかねてから不満がたまっていた軍隊が下士官(百人隊長)フォカスを担ぎ出して反乱を起こした。 この反乱によってマウリキウスは皇位を追われ、息子たちが殺されるのを見せられた上で処刑されてしまった。

 

フォカスが皇帝に即位したが、ホスロー2世はマウリキウスの敵討ちを大義名分にして出兵、ビザンティン・サーサーン戦争が開始された。

 


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