【セレウキア公会議】

 

ヤズダギルド1世の治世において、ササン帝国のキリスト教徒は410年にセレウキアに公会議をもった。

 

この公会議(キリスト教において全世界の教会から司教(主教)等の正規代表者が集まり、 教義・典礼・教会法などについて審議決定する最高会議)はヤズダギルド1世の保護を受けていて、僧侶達と帝国の他の聖職者達とから構成されていた。

 

彼らは公式にはニケーアの公会議(コンスタンティヌス帝が主催したキリスト教教義を決する最高会議である公会議。 アタナシウス派を正統、アリウス派を異端と決めた。ニケーアは、小アジア西部にある、 現在はトルコ領の小都市イスニック。)の監督を受けていた。