【アルダシール2世】

 

 

アルダシール2世(Ardashir II, 生没年不詳)は、サーサーン朝ペルシア帝国の第10代君主(シャーハーン・シャー、在位:379年 - 383年)。 先々代ホルミズド2世の息子で、先代シャープール2世の兄弟であると言われる。王となる前はアディアバネの王であった。

 

サアーリビー(ペルシアの諸王の歴史)とフィルドゥシーの「王の書」によると、シャープール2世には1歳年下の弟を次の君主に指名し、 幼い息子が成人したときに譲位するように遺言したとある。事実そのように王位は継承されている。 貴族たちの権勢はシャープール2世の時代に既に強くなっており、アルダシール2世は4年で廃位され、シャープール3世に譲位した。

 

アルメニアでは親ローマ派と親ペルシア派の対立が増し、アルサケス王家の血を引くマニュエルが王パーラの未亡人を擁立して、 自身が筆頭司令官となりペルシアの軍隊を駐留させた。しかしマニュエルは虚報によってこれを叩いてしまい、混乱の最中に自身も死ぬ。 緩衝地帯の混乱は両国にとっても好ましい状況ではなく、テオドシウス1世とアルダシールの間に平和条約が結ばれた。 アルダシール2世は383年には退位したため、実際には384年にシャープール3世との間で結ばれた。

 

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