【ロマノフ金塊】

この金塊とは従前帝政ロシア中央銀行本店(ペテログラード)が外貨準備のため保管してあったもので、 12億6000万ルーブル相当約976トン(現在価値1兆2000億円)存在していたと言われる。当時、アメリカのものに次ぐ世界第2位の金の集積だった。 この金塊は10月革命の時ボルシェビキの手に移った。その後(ソ連)中央銀行カザン支店に保管されたが。この時約500トンに減少していた。 ところが1918年8月5日チェコ軍がカザン市を占領し、この金塊全部を奪った。 その後金塊はウファー・エカチェリンブルグを転々とし最終的に中央銀行オムスク支店地下金庫に収まった。管理者は当然オムスク政権である。 この段階でもそのまま500トンが残存したことが確認されている。

 

金塊と通称されているが実物はロマノフ金貨が大半で、この量は当時の世界の外貨準備としての金保有の1割以上に相当した。 コルチャクは1919年春季攻勢に敗れ、オムスクは11月再度赤軍の手に落ちた。しかしこの時地下金庫は空だった。

 

1920年5月4日ペトロパウロフスクの労民会報は、英米日仏などへの支払いに102トン(うち日本32トン)、チェコ軍に移管されたもの317トン、 チタでセミョーノフ軍に奪われたもの33トン、ウラジオに送ったもの15トンと報道した。合計で467トンで30トン程度不明である。

 

この記事はボルシェビキ側の記事であり、この件について立場として中立であり最も信用するに足る。なお一部はコルチャック逃亡時自ら所有し、 11月に(ボルシェビキらに)略奪されたとする報道もあるが根拠が薄い。