【ロマノフ一家殺害事件】

1918年、ロシア三月革命で退位していたロマノフ家の皇帝ニコライ2世(50)と、ドイツ出身の皇后アレクサンドラ(46)、皇太子アレクセイ(13)、4人の皇女――長女オリガ(22)、次女タチアナ(20)、三女マリア(19)、四女アナスタシア(17)は、幽閉されていたシベリアのエカテリンブルクで全員が銃殺された。

 

当時のロシアでは、独裁政権を樹立したレーニン率いる共産党(ボリショヴィキ)と、これに反対する帝政派、資本家(立憲民主党)、 農民革命を目指す社会革命党などの諸党派、英・仏を主力とする外国の干渉軍が、戦いを繰り広げていた。

 

共産党が皇帝一家の身柄を確保しており、そこに外国の支援を受けた反革命軍が、一家の奪還を目指して攻め込んでくるという状況の中で、モスクワの共産党本部から、「皇帝一家を始末せよ」という指令が来たといわれるが、指令書自体は残っていない。

 

1918年7月17日、秘密警察(チェカ)の銃殺隊が到着し、皇帝一家7人と4人の従者を地下室に集めて銃殺。しかも処刑の事実を秘密とし、遺体は焼却した上、硫酸で溶かして証拠を隠滅、近くに埋めた。