【ダーシー利権】

イラン石油利権は、19 世紀後半のガージャール専制王朝下で、外国に譲渡された様々な 利権の一つであり、1901 年 5 月、モザファール・アルディン・シャー(Mozaffar Al-Din Shah) によって、ウィリアム・ノックス・ダーシー(William Knox D’Arcy)というイギリス人資本 家に譲渡された。

 

1909 年 4 月 14 日、ダーシー契約を元に APOC(Anglo-Persian Oil Company; アングロ・ペルシャン石油会社、後に AIOC; Anglo-Iranian Oil Company; ア ングロ・イラニアン石油会社に改称)が 200 万ポンドの資本で創立され、ダーシーはその 一員となった。

 

APOC は、植民地主義的で不平等なダーシー利権を根底としており、イギ リスに膨大な経済的利潤をもたらしたのに対し、イラン国内では資源略奪、産業化の停滞、 そして政治近代化の阻止といった諸問題を生み出した。さらに、石油会社は二つの世界大 戦においてイギリス軍が必要とした燃料を供給する企業として、イギリス軍のイラン占領 に貢献したため、中立であったイランを非中立的な立場に引き込 み、戦争に巻き込んだのである。

 

また、石油会社は、イギリスの植民地や公海のペルシア湾に接していたイラン南部領土を国王との契約によって合法的にイギリスの勢力圏とし、イギリスの植民地ブロックを危機にさらす他の植民地列強―ソ連、或いはドイツ―の進入を妨げる要因ともなった。そして、 北に隣接していたソ連を挑発しないように、イラン北部を暗黙のうちにソ連の勢力圏と見なしていた。

 

事実ダーシー契約では、イランの南部領土が公式にイギリスの独占地域とし て規定されている。これらの項目は暗黙のうちにイランの北部をロシアの勢力圏として認 定していると同時に、イランの南部領土をイギリスの独占圏として定めたのである。 かくして、ソ連の介入も正当化され、イラン全土は英ソによる搾取的な利権を貪る場と なった。これこそが石油が発見される以前に定められた、本契約のイギリス植民地支配政策上の重要点であった。

 

イギリスがイラン国民の権益に相反していたこのような構造は、当然のごとく、イランの真の民主主義体制の下では維持することが不可能であるということを意識していた。従 って、イラン政策決定者に賄賂を渡し、会社の株を払うことによって、イラン支配層の権益を帝国主義のそれと結びつけ、彼らと国民との権益の対立を生み出したのである。

 

出典:タキデ,モハマッド 著  [WITH FOCUS ON THE ISSUE OF PETROLEUM NATIONALIZATION IN                      THE ERA OF WORLD WAR II TO COLD WAR] 一橋大学機関リポジトリ- ‎2013