【アングロ・ペルシャ・オイルの設立】

1909年、イギリス政府はアングロ・ペルシャ・オイルを設立するが、幹部すべて、 イギリス外務省出身者で固められ、石油を発見したダーシーは蚊帳の外に置かれた。 アングロ・ペルシャ・オイルは純粋な企業としてイギリス政府の支配下におかれたのである。

 

1910年アスキス政権の商務大臣ウインストン・チャーチルと大蔵大臣ロイド・ジョージは 海軍予算を抑制し、社会福祉予算に回すべきと主張していた。 しかし、ドイツ海軍の艦船増強や不穏な動きにチャーチルは考えを変えた。 そして、1911年海軍大臣に就任したチャーチルはフィシャー提督の後押しを受け、 1912年、海軍の艦船すべてを石炭から石油に変換する計画を決定した。

こうして、石油史上において、自動車の出現に続き、艦船の石油燃料化というもうひとつの革命が イギリス海軍によって起こされたのである。

 

1910年始めアングロ・ペルシャ・オイルはペルシャ湾岸のアバダンで港の建設に着手して いたが、さらに油田のあるマスジット・イ・スレイマンからアバダンまでの 200キロメートルのパイプライン建設をすすめ、1914年に完成した。

 

1914年、チャーチルは戦争時の燃料確保に備え、 アングロ・ペルシャ・オイルの株を51%購入させた。 そして、イギリス海軍省に置かれたアングロ・ペルシャ・オイルはスタンダード・オイルとシェルに 並ぶ石油業界の三巨頭に成長するのである。

 

出典:石油の歴史No09 [アングロ・ペルシャ・オイルの設立]