【大乗仏教】
東アジアの大乗・上座部・チベット系の大乗の分布図
それぞれ黄色・赤・橙で示す
経典言語の違いに着目した場合は、赤:パーリ語、黄:漢訳、橙:チベット語
(およびチベット系の蒙古仏教におけるモンゴル語)にほぼ対応する
この地図には図示されていないが、
インド仏教とネパールのネワール仏教ではサンスクリット語の仏典が用いられている
出典:Wikipedia
大乗仏教(だいじょうぶっきょう、梵: महायान Māhāyāna, 英: Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。
大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。
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―[目次]―
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[概要]
名称:
大乗はサンスクリットのmahā-yānaの訳であり、大きな乗り物の意[1]。摩訶衍(まかえん)・摩訶衍那(まかえんな)と音写される[1]。乗り物とは仏教の教義体系を指す[1]。
大乗とは、偉大な教え・優れた教えの意味である[1][注釈 1][注釈 2]。 大乗の語は、漢訳の初期教典と部派教典にも見られるもので[3]、摩訶衍(まかえん)はその音写とされ摩訶衍を採る経典も多くある[4]。
摩訶衍は後漢時代の漢訳『 雑譬喩経(説話・説法の一つ=支婁迦讖訳)』、三国時代の漢訳『 舊雑譬喩経(説話・説法の一つ=康僧会訳)』、南北朝時代の漢訳『央掘魔羅経(求那跋陀羅訳)』からすでにみられるが[5]、央掘魔羅経は大乗の語も合わせて用いている[6][8]。
パーリ上座部の文献やスリランカの史書に出てくる方等部(ほうとうぶ)あるいは方広部(ほうこうぶ、巴: Vetulla, Vetullavādin, Vetulyaka[9], 梵: Vaitulyavādin, Vaitulika)という言葉は大乗を指していたと推定される[10][11][14]。 小乗という訳語は部派仏典には瞿曇僧伽提婆(ゴータマ・サンガデーヴァ=北インドの僧侶)による漢訳『増一阿含経』に一例だけみられるが[15]、あらゆる般若経の最古形とされる『道行般若経』には「小乗」(Hinayāna)の語はない[16]。
「小乗」の語の成立は「大乗」の語より遅れており、起源も別であるらしい[16]。大乗経典が生まれてくる過程において、その一部に「小乗」の語が考案されて用いられたとされる[16]。この語は部派仏教の全てを指すのではなく、説一切有部のみを、もしくはその一派のみを小乗と呼んだことが、ほぼ論証されている[16]。
教義:
大乗仏教では特に般若波羅蜜(智度)が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説されたこと[17][注釈 3]、如来蔵説が唱えられたこと[20]などがある。 これは、衆生皆菩薩・一切衆生悉有仏性・生死即涅槃・煩悩即菩提などの如来蔵思想や、釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観(地獄や空色を含む大千世界観)へと発展していった。
そうした教義を明確に打ち出した経典として『華厳経』、『法華経』、『浄土三部経』、『涅槃経』などがある。 自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。紀元前後の仏教界は、釈迦の教えの研究に没頭するあまり民衆の望みに応えることができなくなっていたとされるが、大乗の求道者は、阿羅漢ではなく他者を救済するブッダに成ることを主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創りだしていった。
[発展の諸相]
ブッダとは歴史上にあらわれた釈迦だけに限らず、過去にもあらわれたことがあるし未来にもあらわれるだろうとの考えはすでに大乗以前から出てきていたが、大乗仏教ではこれまでに無数の菩薩たちが成道し、娑婆世界とは別にある他方世界でそれぞれのブッダとして存在していると考えた。この多くのブッダの中に西方極楽浄土の阿弥陀如来や東方浄瑠璃世界の阿閦如来・薬師如来などがある。また、歴史的存在、肉体を持った存在であった釈迦の教えがただそのまま伝わるのではなく、大乗仏教として種々に発展を遂げ、さまざまな宗派を生み出すに至る。三法印などすべての宗派に共通する教義も多々ある。
顕教:
[中国・日本]
天台宗
智顗(538年-597年)を実質的な開祖とし、『法華経』を根本経典とする宗派。
詳細は「天台宗」を参照
浄土教
阿弥陀仏の極楽浄土 に往生することを説いている[21]。『無量寿経』、『観無量寿経 』、『阿弥陀経』の「浄土三部経」を根本経典とする[22]。
「顕教」、「浄土教」、「浄土宗」、「浄土真宗」、「時宗」、および「融通念仏宗」を参照
禅
座禅を中心においた修行によって、内観・自省によって心性の本源を悟ろうとする[23][24]。
密教:
[日本]
大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持・祈祷を重んじる[25]。根本経典は『大日経』と『金剛頂経』。天台密教では『蘇悉地羯羅経』も重視する。
[伝播]
紀元前後より、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国・朝鮮・日本・ベトナムに伝わっている(北伝仏教)。またチベットは8世紀より僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入、その後チベット人僧侶の布教によって、大乗仏教信仰はモンゴルや南シベリアにまで拡大されていった(チベット仏教)。
7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教(Tantra または Tantrism)と深い関係を持った密教が盛んになった。この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(即身成仏)ができるとする。密教は、 インドから中国・韓国・日本へ、チベット・ブータンにも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。
考古学的には、スリランカ、そして東南アジアなど、現在の上座部仏教圏への伝播も確認されている。
スリランカでは東南部において遺跡が確認されており、上座部仏教と併存した後に12世紀までには消滅したようである。また、東南アジアではシュリーヴィジャヤなどが大乗仏教を受入れ、その遺跡は王国の領域であったタイ南部からスマトラ、ジャワなどに広がっている。インドネシアのシャイレーンドラ朝のボロブドゥール遺跡なども著名である。東南アジアにおいてはインドと不可分の歴史的経過を辿り、すなわちインド本土と同様にヒンドゥー教へと吸収されていった。
• 紀元前5世紀頃 : インドで仏教が開かれる(インドの仏教)
• 紀元前3世紀 : セイロン島(スリランカ)に伝わる(スリランカの仏教)
• 紀元後1世紀 : 中国に伝わる(中国の仏教)
• 2世紀:ベトナムに伝わる(ベトナムの仏教)
• 4世紀 : 朝鮮半島に伝わる(朝鮮の仏教)
• 538年 : 日本に伝わる(日本の仏教)
• 7世紀前半 : チベットに伝わる(チベット仏教)
• 13-16世紀 : モンゴルに伝わる(チベット仏教)
• 17世紀 : カスピ海北岸に伝わる(チベット仏教)
• 18世紀 : 南シベリア
[脚注]
注釈:
[注釈 1]なお、ジャイナ教でも古くから巴: mahājāna(梵: mahāyāna)ということをいう[1]。
[注釈 2]アルダマーガディー語に近縁するプラークリットであるパーリ語では mahā jana は「大勢の人々(大衆)」という意味。[2]。 [注釈 3]波羅蜜という用語が現れたのは、かなり後に編纂された部派仏典のわずかな経論や[18]ジャータカ系・仏伝系の経典から[19]。
出典:
[1] 中村元 『広説佛教語大辞典 中巻』 東京書籍、2001年6月、1120頁の「大乗」の項目。
※同頁によれば、ジャイナ教での用例の出典は『アーヤーランガ』の一・三、四・二。
[2]『パーリ仏教辞典』 村上真完, 及川真介著 (春秋社)1487頁。この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0 のもとで公表されたウィキペディアの項目大乗仏教 を素材として二次利用しています。