【クリシュナ・ヴァースデーヴァ】

クリシュナ信仰の成立と発展の過程はきわめて複雑で、西インドのいくつかの部族の神々が合体して多様な相をもつに至ったと推定される。

 

クリシュナを構成する主な要素として、次のようなものがあげられる。

(1)ヤーダヴァ族の英雄クリシュナ、

(2)ヴリシュニ族の一神教的なヴァースデーヴァの信仰、 

(3)アービーラ族の牧童(ゴーパーラ gopAla)の信仰

(4)正統バラモン思想の伝統との融合によるヴィシュヌの化身としての信仰である。

 

上記のうち、ヴァースデーヴァは、(2)ヴィリシュニ族の英雄か王であったろうとされる。この名には、紀元前4世紀のパーニニが言及する。また、紀元前2世紀のパタンジャリの『マハーバーシュヤ』3.1.26(vol.2、p.36、l.19)に「あるものたちはカンサの信者であり、 あるものたちはヴァースデーヴァの信者である」と言及される。カンサは、後代のクリシュナ神話では、クリシュナのいとこであるが敵対者で、クリシュナに殺される悪王である。

 

しかし、仏典の『ジャータカ』では、これは、クリシュナではなく、あくまでヴァースデーヴァの話で、カンサは悪王ではない、と伝えている。

 

紀元前2世紀、ギリシア人ヘリオドロスがバクトリア大使としてタクシャシラーに滞在していた時、ベスナガル(Besnagar、現在のMadhya Pradesh州Vidisha)に「神々の中の神ヴァースデーヴァ」にささげる石柱を建てた。その碑文の中で、彼は自身を「バーガヴァタ教徒」と呼んでいる。 また、石柱の頂には、ガルダ(金翅鳥、あるいは迦楼羅)が飾られていたという。(ガルダはヴィシュヌ《クリシュナはヴィシュヌの化身とされる》の乗る鳥。) この頃までに、バーガヴァタとヴァースデーヴァは一体のものと見なされていたことが理解できる。

 

以上のように、数々の民間伝説や信仰が融合してクリシュナ信仰を成立させていることがわかる。

 

出典:インド思想史概説