【シェムリアップ】
シェムリアップの位置
シェムリアップ(クメール語: ក្រុងសៀមរាប、ラテン文字表記:Siem Reap、英語: Siem Reap)はカンボジア北西部のシェムリアップ州の州都。 2012年の人口は18万9292人で、同国5位。 アンコール・ワット、アンコール・トムなどを含むアンコール遺跡群の観光拠点となっている。 日本ではシエムレアプとも表記される。
[歴史]
「カンボジアの歴史」も参照
1886年のカンボジア
シェムリアップ周辺はシャムの統治下に置かれていた
出典: wikipedia
シェムリアップ一帯は、何世紀もの間、シャム (現在のタイ王国)の領土かその王権の属国であった。Siem Reap は直訳すれば「シャム人敗戦の地」であるが、これは17世紀にクメール人がシャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことにちなむ。
帝国主義時代にフランスは東南アジアの広大な領域を植民地化した。カンボジアのほかにラオスもベトナムもこの「フランス領インドシナ」に属した。1907年3月25日の条約で、シェムリアップ、バッタンバン及びシソポン(合計で 20,000 平方キロメートル以上)も植民地政府に属した。
太平洋戦争中はタイ・フランス領インドシナ紛争と、それを終結させた東京条約により、一時期タイの領土となったが、戦後はフランス領に復帰した。しかし1949年から1953年にかけカンボジア王国が成立すると、その領域となった。
1975年から始まったクメール・ルージュ支配の時代には、全国の他の都市から誘拐されてシェムリアップの住民にさせられた人々が、畑での重労働に従事させられた。これらの人々は、1979年1月にベトナム軍が侵攻してクメール・ルージュに勝利した後、故郷の都市に帰されたが、クメール・ルージュは1990年代の初めまで森に逃げ込んで攻撃を続けた。住民は、長年の間、バリケードを築いて中心街を守らなければならなかった。
1991年にカンボジア内戦が終結したにもかかわらず、1993年、クメール・ルージュの最後の攻撃がシェムリアップやUNTAC平和維持部隊に対して行われた。
しかし、その後はカンボジアの経済成長と共に発展を続けている。
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