【ピミヤナカス】

ピミヤナカス

 

ピミアナカス(Phimeanakas、クメール語: ប្រាសាទភិមានអាកាស, Prasat Phimean Akas〈ヴィミヤン・アーカス[1])は、カンボジアアンコール遺跡群のうちアンコール・トムの王宮の周壁内にあるクリアン様式(梁の中央にカーラ神があり、比較的簡素な図柄が特徴)のヒンドゥー教寺院であり、「天上の寺院」(英: ‘Celestial Temple’)、「空中の宮殿」(英: ‘Aerial Palace’ [2])とも称される。

 

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 ―[目次]―

1 時代

2 構造

3 伝説

3 脚注

4 参考文献

5 関連項目

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[ 時代]

ラージェンドラヴァルマン2世(在位944-968年)統治時代の10世紀末に建造され、次いでスーリヤヴァルマン1世 (在位1002-1050年)の統治時代に完成したとされる[1][2]

 

建造の開始については、10世紀初頭のヤショヴァルマン1世(在位889-910年)の時代に着手されたとする説もある[1]

 

[構造]

ピミアナカスは、5か所の塔門(ゴープラム、gopuram)のある東西600メートル、南北250メートルの周壁に囲まれた王宮の中央に位置し[3]、そこに居住した歴代の王が儀式をおこなうための寺院であった[4]

 

東西35メートル、南北28メートルのピミアナカスは3層構造であり[3]須弥山(メール山)を象徴する[4]ラテライトの基壇において[4]、1層目は水面、2層目は地面、3層目は天空を表現しており、その四面には最上段に至る階段を備える[1]。3層ピラミッド構造のヒンドゥー教寺院の最上段は砂岩の回廊に囲まれるが[4]、これは装飾的な擬似回廊であり[3]、その中心に1基の塔堂(中央祠堂)がある[2]周達觀が記した『真臘風土記 (しんろうふどき)』によれば、塔はかつて金色の尖塔に覆われていた[5]

 

[伝説]

ピミアナカスのナーガ

出典: wikipedia

 

伝説によると、王は、塔の中にいるナーガが姿を変えたという女性と夜毎逢瀬を過ごし、その間、女王さえ立ち入ることは許されなかった。二度目の時にだけ、王は女王と宮殿に戻った。もしクメールの最高主であるナーガが夜に姿を現さなければ、王の余命は幾ばくもなく、王が姿を見せなければ、災難が王の土地を襲うであろうとされた[6]

 

[脚注]

[1]フーオッ・タット 『アンコール遺跡とカンボジアの歴史』 今川幸雄訳、めこん、1995年、66-70頁。ISBN 4-8396-0095-3。

[2]Rooney, Dawn F. (2011). Angkor: Cambodia's Wondrous Khmer Temples (6th ed.). Odissey. pp. 201-202. ISBN 978-962-217-802-1。

[3]石澤良昭 『アンコール・ワットへの道』 JTB〈JTBキャンブックス〉、2000年、101-102頁。ISBN 4-533-03341-5。

[4]波田野直樹 『アンコール遺跡を楽しむ』 連合出版、2007年、改訂版、129-130頁。ISBN 978-4-89772-224-5。

[5] 周達觀 『真臘風土記』「城郭」・「宮室」の条。

[6]周達觀 『真臘風土記』「宮室」の条。

 

[参考文献]

• 周達観 『真臘風土記』 和田久徳訳、平凡社〈東洋文庫〉、1989年。ISBN 4-582-80507-8。

 

[関連項目]

アンコール遺跡

アンコール・トム


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