【カンボジア内戦】

カンボジア内戦(カンボジアないせん)は、東南アジアのカンボジアで、1970年にカンボジア王国が倒れてから、1993年にカンボジア国民議会選挙で民主政権が誕生するまでの内戦状態をいう。

 

[シハヌーク統治時代]

 

カンボジアは1949年にフランス領インドシナからの独立を認められ、ノロドム・シハヌーク国王によって統治されていたが(カンボジア王国の王制社会主義・サンクム体制)、王政に対抗する国内派閥の抗争があり、国内には不安定要素を抱えていた。1965年2月にアメリカが北ベトナムの空爆に踏み切ると、シハヌークは対米断交に踏み切った。カンボジア領域内には北ベトナム軍および南ベトナム解放民族戦線の補給基地が存在し、カンポン・チャム港はベトコンへの補給揚陸港として使用されていた。また、南ベトナム軍とアメリカ軍はカンボジア領内をしばしば領空飛行し爆撃を行った。国内は不安定だったものの、この当時クメール・ルージュはまだ弱小勢力であり、食糧生産は豊富で当時のカンボジアは食料輸出国だった。アメリカは戦争遂行のためにカンボジアに親米的な政権を作る必要があった。 1967年4月、バタンバン州のサムロートで、政府による余剰米強制買い付けに反対する農民と地元政府の間で衝突が起こる。1965年頃からカンボジアの余剰米の少なくとも4分の1あまりが北ベトナムとベトコンに買い上げられていたが、政府の買い付け値はこれより安く、地元共産主義勢力は反米反政府のビラを撒き暴動を煽動した。サムロート周辺の鎮圧作戦は数か月間続き、右派と左派の衝突は強まっていく。

 

[1970年3月のクーデター]・[クメール・ルージュの支配]・[ベトナム軍介入と中越戦争]・

[和平への道]等を含めたカンボジア内戦に関する他の項目の詳細は

カンボジア内戦・[1970年3月のクーデター]以降」の項目を参照-


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