【マヌエル・クリュソロラス】

1350ころ‐1415 ビザンティン帝国の文人。トマス神学のビザンティン世界への紹介者キュドネス・デメトリオスの教えをうけ,カトリックに改宗。対オスマン・トルコ防衛の使節として,皇帝マヌエル2世により何回か西ヨーロッパに派遣される。

 

1397年文芸復興の推進者コルッチオ・サルターティによりフィレンツェに招かれてギリシア語を教え,門下からブルーニ,ポッジ,フィレルフォなどの人文主義者が輩出した。コンスタンツ公会議開始直後同地で死去。

 

出典:世界大百科事典