【ヘレニズム文化】

ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)の祖、ヘレーンに由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス3世(大王)(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。

 

また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。

  

[古代オリエント文化との融合]

 

アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、オリエント文化と融合して誕生した文化を指して ヘレニズム文化という。

 

ヘレニズムとは、ギリシャ人たちが自分たちのことを「ヘレネス」と言うことに由来。 つまり、ヘレニズムとはギリシャ風という意味を持たせた言葉で、19世紀のドイツの歴史家であるドロイゼンによる造語である。

 

ヘレニズムは、ヨーロッパにおいてはローマ文化に多大なる影響を与え、現在のヨーロッパ文化の基礎の1つであり、 さらにインド方面へは仏教と融合したガンダーラ文化として波及し、 それはさらに中国、日本と伝わり、日本では飛鳥文化にまで影響している。

 

古代日本の飛鳥時代の仏像にも見られ、例えば弥勒菩薩半跏思惟像の表情はアルカイク・スマイルであるとされることが多い。

 

 

[時代区分としてのヘレニズム]

 

時代区分としてのヘレニズム時代(Hellenistic period)は、 アレクサンドロスの死亡(紀元前323年)からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(紀元前30年)するまでの約300年間を指す。

広大な帝国を築き上げたのちアレクサンドロスが死ぬと、その版図はアレクサンドロスの部下達によって争奪・分割された。 これら、およびさらにそこから派生した諸国をヘレニズム諸国という。

 

・アンティゴノス朝マケドニア王国

・セレウコス朝シリア王国

・アッタロス朝ペルガモン王国

・プトレマイオス朝エジプト王国

 

これらの国は東地中海からオリエント地域を支配し、ギリシア風の「ヘレニズム文化」を維持・発展させたが、 次第に共和政ローマが東へ進出することで滅ぼされ、ついに紀元前30年、最後のヘレニズム王朝であった プトレマイオス朝エジプトがローマに併合されたこのことによって、ヘレニズム時代は終わったとされる。

 

しかし、その後も文化的にはギリシアはローマを圧倒し続けた。 ギリシア語は東地中海地域の共通語として使われ、ヘレニズム文化が栄えた。 また、ローマ帝国分裂後も7世紀以降の東ローマ帝国では支配地域・住民がギリシャ語圏となったためにヘレニズムの伝統が重視され、 キリスト教と融合した「ビザンティン文化」を生むことになった。

 

[ヨーロッパ文明の源流]

 

ヨーロッパ文明の基調をヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教)と、ヘレニズムに求める見解は、 19世紀にマシュー・アーノルドによって示された。以降、こういった見解はヨーロッパ文明を説明する上で一般的に用いられている。


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