【パールス】

ファールス(ペルシア語: Fārs、英語:Fars)は、イラン南部の歴史的地域名。現在の ファールス州 を中心とした地方を指す。

ファールスの位置

[名称]

 

語源は騎馬者を意味する「パールス(Pârs)」からきており、古代にはパールサ(Pârsâ)と呼ばれた。ギリシャ語ではペルシス (Πέρσις Persis) と呼ばれ、「ペルシア」の語源ともなった。サーサーン朝時代にはパールス(Pārs)となり、古代中国でも「波斯」という語に音訳され、しばらく「ペルシア」の訳語として用いられた。やがてアラビア語形でpの発音がfになったため、現在ではファールス(Fārs)と発音されている。

 

[歴史]

 

アカイメネス朝:

アカイメネス朝の領域

ブワイフ朝の領域

イルハン朝後の諸政権

(インジュー朝、ムザッファル朝)

モンゴル の侵入後、イランには イルハン朝(フレグ・ウルス)が建国され、それまでファールス地方を支配してたサルグル朝は1285年にイルハン朝に組み込まれた。

 

オルジェイトゥ・ハンの時代(在位:1304年 - 1316年)、イルハン朝の王領(インジュー)を管理するシャラフ・アッディーン・マフムードシャーがファールスを本拠に独立をした( インジュー朝)。1336年、彼は アルパ・ケウン(在位:1335年 - 1336年)の命により処刑されたが、彼の4人の息子たちはチュパン家のアミールたちと協力したり、争ったりしながら、1353年までファールスを支配し続けた。この年、イラン中央部の ヤズドを支配する ムザッファル朝のムハンマドにファールスの中心地 シーラーズを占領され、続いて1357年にイスファハーンを攻略されたことで、インジュー朝は滅亡した。

 

この時代、ペルシア文学を代表するサアディー、ハーフィズの二大詩人は共にファールスの文化的な中心地シーラーズに居住して、それぞれ13世紀と14世紀に現在でも愛誦される作品を残した。また、インジュー朝の支配下で11世紀のイランの大詩人フェルドウスィー作の大叙事詩『 シャー・ナーメ』の ミニアチュール入りの写本が1330年代にシーラーズで製作されている。このミニアチュールは『 集史』のミニアチュールとは技法も作風も違うために、シーラーズ派として区別される。


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