【アレタス4世】

北アラビアを支配したナバテア王国 (→ナバタイ人 ) の王。アレタとも呼ばれる。在位前9~後 39年。

 

ヘロデス・アンチパスの義父。オボタス3世の死後,僭称者アイネイアスと宰相シツライオス(シラエウス)の没落を待って,ローマ皇帝アウグストゥスの支持のもと王位についた。

 

ナバテア王国の繁栄と衰退:

アレタス4世の時代、ナバティア王国はその領土をダマスカスからヒジャーズ地方までの砂漠周辺部とネゲブ地方まで広げ、メソポタミア、南アラビアから地中海にいたるほぼ全ての隊商路を掌握し、乳香・没薬貿易により大いに繁栄した。

 

その後、西暦1世紀ごろになるとアラビア半島西域を通る交易ルートはローマ帝国による紅海を利用した海上貿易が主流となり、一方で陸上交易路としてはペルシャ湾からシリア砂漠を越えて地中海地域へと抜ける交易ルートが活性化した。そのため、 パルティア帝国のハトラ(現イラク北部のモスルの南西約100km、サルサル・ワジ川のほとりの砂漠地帯に残る歴史的な都市遺跡)やシリアのパルミラなどのペルシャ湾ルート上の都市が商業都市として台頭し、相対的にナバテア王国の商業都市としての重要性が低下していった。 またアラビア半島における他のアラブ部族との競争も激化していったことから、ナバテア王国の国力は次第に衰えて行った。

 

さらに、ローマ帝国はナバテア人の勢力を抑えるため、ナバテア王国に隣接するシリア属州においてデカポリス(ダマスカス・アンマン・ジェラッシュを含む十都市連合=10の植民地の町の総称、)を編成している。

 

その後ナバテア王国は首都をペトラからボスラへと遷都したが衰退の勢いは止まらなかった。 106年にナバテア王国の王ラベル2世が死去すると、ローマ帝国はナバテア王国の主要都市であったペトラおよびボスラを征服してアラビア属州へと併合した。

 

ナバテア王国の滅亡後もナバテア人の根拠地であったペトラはアラビア属州の一都市(州都であったとする説もある)として勢力を保っていたが、 363年に発生した大地震の影響からペトラは隊商路として機能しなくなり、陸上交易の要所としての地位をパルミラに明け渡す形で次第に表舞台から姿を消す事になる。

 

一方で、アラビア属州併合の直前にナバテア王国の首都となったボスラはその後、アラビア属州の州都として繁栄した。

 

参考文献:

・古代から続く歴史 高橋俊二著 3.4

・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(一部引用)