【インドのゴア軍事侵攻】

ゴアの併合は、1961年12月にインド軍が実施した武装措置をはじめ、インドのゴア、ダマン、ジューの旧ポルトガルの領土を合併したプロセスであった。 「解放のゴア」または「ゴアの侵略」と呼ばれる。

 

1961年12月15日、インド政府はポルトガル政府(サラザール独裁政権)に対して「インドにある三ヶ所のポルトガル領(ゴア・ディウ・ダマン)をただちに放棄せよ」との覚書を提出した。 これは前年のアフリカの年に国際連合総会での「植民地独立宣言」の採択を受けてのことであった。

 

ソ連のブレジネフ最高会議幹部会議長がその直後にインドを訪問、 ネルー首相に対してゴア問題ではソ連はインドを全面的に支援すると声明を発表した。

 

12月18日午前0時半、インド軍はゴア以下の三ヶ所に侵攻を開始し、それに対してポルトガルのサラザール首相は、国民に向けて、インドはゴアを侵略しようとしている、ポルトガル軍は自衛的行動をとる、とのコミュニケを発表した。 インド海軍は陸海空から猛攻撃、ポルトガル総督とその家族はパキスタンに逃れた。

 

こうしてゴアはあっけなく陥落し、ディウ、ダマンもインド軍に接収され、ポルトガルの451年にわたる植民地支配は終わりを告げた。

 

出典: ・Wikipedia  “Annexation of Goa”

          ・世界史の窓  “インドによるゴア接収”